歳をとても変化,刺激のある仕事がしたい

あと1週間で60歳になろうとしている。
定年なのだが,直ぐに退職にはならず,
今年一杯は嘱託として仕事にありついた。
今年一杯は,少ないが何とか収入を確保できそうだ。
自由気ままな生活には全然不足だが。


そして,相変わらずのセキュリティ管理の仕事を続けることになった。


セキュリティ管理の仕事は,2008年頃から始まった。
2008年2月,親会社の監査で指摘され,
システム開発組織のSOD(職務分掌)の規程,運用手続を作成したのが始まりだった。
SODの運用を数ヶ月継続していた。
2008年10月に再度監査があり,この時は監査対応チームに参加した。
結局リーダーのように,監査人とやりあった。
監査人の一人は元部下で,監査目的,UNIX系システムなど何も判っていなかった。
年末に役目は終了となったのだが,
翌年2009年2月にセキュリティ管理組織を引き受け,
本格的にセキュリティ管理の浸かってしまった。


セキュリティの仕事も始めの頃に何も判らないときは面白かったが、
長くやると飽きる。


2011年7月の定年でセキュリティ仕事は終了と思っていたのに,
まだ数ヶ月は続きそうだ。


昔は2,3ヶ月毎に新しい仕事に挑戦していて,
非常に活気に満ちた仕事をしていた。
数ヶ月毎に変わっていく仕事は,
自分の人生に活気を与えてくれた。
1992年から1997年頃だった。


このときの仕事方法が,一番好きだ。
非常に早いスピードで,ダイナミック変化に対応していく仕事だった。


その後,外資系を3社ほど毎年のように会社を替わってしまった。
それぞれの会社は日本での経営がヒドイもので,
改善すること,やるべき仕事は沢山あった。
沢山の仕事をこなし,沢山の工夫をしたが,
経営者/経営方針とぶつかり,それぞれ1年ほどで退職に追いやられた。
自分の仕事のスピードが速過ぎたのも悪かったのだろう。
それでも各社では,やりがいのある仕事をしたと自負している。


1年毎に3社も会社を替わってしまったのと,50歳という年齢で,
1999年末の退職時には,就職を斡旋するヘッドハンティング会社はなかった。


必然的に2000年にはフリーランスとなった。
それでも,幸いに
大手商社でのインターネットビジネスの立ち上げに参加できた。
それが2年半続き,その間は充分な収入も得ていた。
契約を継続していく心配は大きかったが,
その大手商社からの契約が継続すれば,収入的には何も問題なかった。
社員よりも高い収入だった。


2002年6月で大手商社の仕事が終了してしまった。
その年は仕事探しで奔走した。
200社程度にメール,電話などで仕事の問い合わせをしたと思う。
年の前半で可也稼いでいたが、
年の後半には,仕事がなく、現金はなかった。
年の終わりになって,やっと100万ほどの仕事にありついた。


その後も,営業を続け,昔の会社の同僚などにも回っていった。
元同僚の紹介で,結局サラリーマンに戻ったのが,2003年2月だった。


2,3年の腰掛で,フリーランスに戻るつもりだったが,
サラリーマンに安住してしまって,仕事探しをサボり,
結局定年まで今の会社に在籍することになってしまった。


上の子は就職して3年経過し,遊び歩いているが,
多分一人で生きていけるだろう。


下の子は大学4年生。
1年間のアメリカ留学から帰ってきたばかりで,
今は就職活動で忙しい。
多分,この子は何とか就職先を見つけ、
一人で生きていけるだろう。


何とか今年中は今の仕事を継続でき,少々の収入は確保できる目処が立った。


しかし,ここ数年,型にはまった仕事で面白くない。
セキュリティも手を変え品を変えとしようとしているが,変化が小さい。
セキュリティというだけでなく,
会社が日本企業であることが,大きく影響していると思う。
それも親会社は,官庁から移行した,昔ながらの企業だから,
当然子会社も変化のない仕事をしている。


変わりに、少々変わった仕事は、
他に出来る人が居ない、とも評価されているが。


もっと大きな変化,刺激のある仕事がしたい。
昔のように,凄いスピードで,変化に対応していく仕事がしたい。


決まった手順に従って,間違いない仕事を続けていくことは,自分には向いていない。


もう子供のために収入に縛られる必要はないだろう。
年取ったが、変化のある仕事をしたい。
自由に仕事をしたい。