常に変化していくフリージャズには完成がない

フリージャズ・ワークショップ@アケタの店
藤川義明(as)フリージャズ・ワークショップ
堀切信志(ts)雨宮拓(p)海道雄高(b)大沼志朗(ds)


このバンドは、今年の4月だか5月から始まり、
月に1回の割合で演奏をしている。
聞くのは今回で4回目くらいか。


相変わらず、面白く素晴らしい演奏。
藤川さんも乗ってソロを取っているし、
バックが凄い。
フロントを煽るようなピアノの雨宮さんの演奏。
ベースの海道さんも凄いテクでピアノ、ドラム、フロントとしっかり合った演奏。
大沼さんの演奏もいつものように気持ちが良い。演奏前は調子悪そうだったが。
以前の堀切さんのソロは、もう少しかと思っていたが、
今回は、ソロの後半になるとバリバリとふき始めて凄い演奏になる。


面白かった、凄かった。
完成に近い音楽になってきたなと思った時に、
完成されると、そのうちに壊されるだろうなとも思いはじめた。


ジャズは、特にフリー系ジャズは、完成はありえず、
まとまるという意味で完成してくると、それを壊そうという動きが働く。
藤川さんがリーダーだった、イースタシアしかり、
梅津さんのかつての数々のバンドも同じだった。
かたや、ホテルのバーなどで演奏されているジャズなどのカクテルジャズの場合は、
人々に気持ちよさ、リラックス感を与える音楽だ。
人々に気持ちよさを与えるためには、完成された音楽である必要がある。
聞く人が次を予測できる音楽である必要がある。
だから、この手のジャズは音楽的には変化していかない。
フリージャズは、常に変化を求めている。
聞き手が次を予測できる音楽ではいけない。だから面白い。
変化を楽しむ音楽で、完成と思ったときから破壊が始まる音楽だ。


昔、相倉久人さんはジャズは死んだと言った。
相倉さんのジャズの歴史で、相倉さんの言っている意味が少々判ったように思った。
全く個人的な感想だが、
昔のフリージャズが行き過ぎてしまい、変化の付け方が、ピアノを燃やすとか、
音楽的な変化でない方向へ行ったことが問題だったのでないかと思う。
この当時のフリージャズ(今でもそうだが)は、
テーマを演奏者全員で演奏し、その後ソロイストがフリーなソロをとり、
それがつながって行き、最後にまたテーマに戻るという、
昔ながらのジャズのフォームを継承していた。
これがツマラナクなった、ジャズは死んだと言われたのではないか?
最近は、フリージャズというよりは、インプロバイズド・ミュージックと分類して、
ジャズのフォームを使わずに、いきなりアドリブで始め、全てアドリブで終わってしまう音楽が面白い。
昔のフリージャズや現代音楽の演奏者が、この形式で演奏する。
初めから何が出てくるのか予想できない音楽。
これ面白い。まあ、つまらないときもあるが。