素晴らしい人間、アメリカの分析 ストロベリー・ロード

◎  ストロベリー・ロード〈上〉 (文春文庫)
◎  ストロベリー・ロード〈下〉 (文春文庫)


アメリカへの旅行、もしくは滞在日記と思って読み始めたが、違っていた。
特に下では、その人間のあり方などの分析が素晴らしい。


1947年生まれの著者が、
カリフォルニアで農業をしていた兄を頼って
高校を卒業した1965年から1969年までの4年間をアメリカで働く。
その始めの2年間の話が、この2冊に書かれている。


始めの部分は
伊豆大島での生活、高校生からアメリカに船で渡る。
ロスアンゼルスで兄と合い、イチゴ畑で働き始めるところから。


この始めの辺りは、普通に旅行記のようだが、
段々と、何故アメリカにいるのかとか、
米国での日系一世、二世の違いの分析、なぜ変わってきたのかの考察、
戦争花嫁とその花嫁を連れて行ったアメリカ人などなど
凄い人間の分析、考察。


1965年から1969年の話を23年後の1988年に出版したが、
昔のメモや日記もなく、当時の話を書き出せたそうだ。
著者にとっては凄いインパクトのある時期だったのだろう。


出版翌年1989年には大宅ノンフィクション賞を受賞している。
この賞にはぴったりの作品だとおもった。


下巻を読み終わって直ぐに、
その続巻である
ストロベリー・ボーイ―ストロベリー・ロード PART2
ストロベリー・ロード〈PART3〉ガーデン・ボーイ
を注文してしまった。
古い本なので、新品はなく、当然古本。


この素晴らしい作品が余り知られていないことが驚きだ。
もっと読まれるべき作品だと思う。



気になった部分、下巻


120ページ

アメリカ社会が外部の人に暴力的な印象を与えるのは、多発する犯罪のせいばかりではない。おそらく、会話の一方通行性に多くの原因があるのである。相手をたたきのめす会話能力、そして雄弁さ、これこそが、アメリカで生きる武器なのである。そういう伝統を受け継いで、どこの高校にも、演説ができる会場が設置されているのである。



220ページ

二人が生活を始めると、彼の話は、アメリカ全体を背負ったことばなわけ、私のは第二母国語で、あとかわ覚えた言葉。彼の言葉は圧倒的な力を持ってわたしに迫ってきたのね。男と女の楽しい”会話”から男と女の生き方をめぐる”言葉”の関係になっていった時、その個とを思い知ったわ」



226ページ

「きっと、戦前、戦中と、アメリカ人に対しいやな思い出がたくさんあって、父親としては、最愛の娘が白人に嫁ぐことに我慢できなかったんでしょう。そして、自分達の家族の一人が白人に接近することは、ひどい目にあった在米同胞に対する裏切り行為だ、とおそらくTさんは考えてお詫び広告を打ったんでしょう」



233ページ

凡庸な言い方だけれども、僕は牧師夫婦のなかに、農地の仲間たちとは違う、アメリカに反対する日本人を見ていた。あるいは、ベトナム戦争に反対する牧師夫婦の、何歳になっても自分の信じる道を行き続ける姿に感銘を受けていたのだ。アメリカに遠慮しながら生きている畑の人びとのなかから、そうした人を探すことは難しかった。依然として、アメリカの中に”居場所”を見つけ出せないでいた当時の僕にとって、牧師の生きるかたちこそが僕の”居場所”のような存在であった。



258ページ

アメリカにおいては、男女の関係においてすら、自分のルーザー意識を、あたかもトランプのババ抜きのように、だれかに押しつけているのかもしれない」とも。「だから、ルーザー意識から脱出する上昇志向が強烈に存在する反面、ルーザーから脱出できないなら、自分の下に、自分を頼ってしか生きられない人間を作り出す情熱に燃える。このプラス志向とマイナス志向の情熱が複雑にもつれあい、アメリカを、強烈な生存競争社会に仕立て上げている」彼女はこんなふうに放していた。



262ページ

人間にとって”過去”と”現在”とは忌まわしいものでありがちだ。しかし、その忌まわしき”過去”と”現在”に裏打ちされない”未来”があろうわけはなく、むしろそうした”過去”を背負っているからこそ、人間は、一つの人生をまっとうすることができるのではないか。”過去”には、どこか人間の心を安心させるところがあるのだ。



275ページ

アメリカは、あのベトナムの領土がほしいとか、あそこの資源がほしいとか、そういった理由で戦争しているわけではありません。ふつう戦争をするときは必ず領土的な野心があるものですが、アメリカにはそれが全くありませんね。これだけはまちがいありません。ただひたすら”正義”のためにアメリカは戦っているのです。いいですか、”正義”のために、です。しかし、観念で戦争ができる国なんてほかにありません。でも、その過剰な正義感が、この国をだめにしてゆくのです。」



312ページ

世界のあらゆる地域からアメリカに向けての道が開かれている。そして前述のように、アメリカの戦争は、相手国の人びとにアメリカへの道をより広く開く側面を持っている。第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争ベトナム戦争。二十世紀だけをとっても、アメリカが戦争をするたびに、アメリカの男たちは世界のあらゆる国家や民族が、際限なく”アメリカへの道”を広げるか、あるいはその道を断固拒絶しようとした歴史だったのかもしれない。・・・・
この構造は、二十世紀の現在、さらによく見えはじめたように思われる。戦後の日本は、国家も国民も”アメリカへの道”を最も大きく開いてすり寄った国、あるいは国民の代表であり、そのいっぽうで世界には、断固としてアメリカにすり寄らない国と人間を作り出そうという動きが見えているからである。



316ページ

考えてみれば。今まで僕が出会った、兄を含めた多くの移住者達は、国家と国家のあいだに横たわる境界を越えた人びとであった。しかし、その境界を超えて、アメリカの内部で生活すれば、そこには無数の、これまで見聞することもなかった小さな境界が存在することを兄たち移住者は思い知っていた。しかし、これまでのそうした境界は、職場や生活の外部の部分に限定されていた。だが、言葉も習慣も異なる人間との結婚のあとに出会う境界は、二十四時間つきまとうことになるわけで、逃げようにも逃げ場がない。その逃げ場のない世界への境界を、兄は今、越えようとしているのだ。