江畑謙介 仲間が亡くなるのはつらい

1年上だったが,大学の研究室で楽しい時を過ごした仲間。
当時のあの研究室は,教授の自由闊達な方針で,
大学院の修士,博士課程,学部生だけでなく,数名の研究生まで含めて
数年に渡る学生達の集まりだった。
年齢的には10歳近くの違いがあるが,皆仲間だった。
遊び好きだった当時の助教授も含めると16歳の違いがあったが,
毎日のように夕方からはマージャン,飲み会だった。
卒業後も毎週のように土曜日などには集まって宴会をしていた。
楽しい研究室だった。
年齢,先輩後輩関係ない付き合いだった。


江畑さんは,軍事的なことが好きで,当然硬派な発言の多い人だった。
飛行機や戦艦などの透視図を描いて結構収入を得たりしていた様だし,
海外へも軍事基地や航空ショーなどを目的で結構出掛けていた。
雑誌への投稿,編集などを始めたが,
その内に湾岸戦争で軍事評論家として急に有名になってしまった。


私が初めて海外旅行へ行く切っ掛けも彼だった。
最初に勤めていた会社を辞めて,
次の就職まで1ヵ月半遊んでいた時に
”暇なら海外を見て来い”との一声で
私は1週間後にはカリフォルニアへ遊びに行った。
その後は,慣れてしまって頻繁にアメリカへ遊びに行っていた。



前回の研究室の集まりの時に,
そろそろ同じ年代で集まるかと話していたのだが,少々遅かった。
あの当時の研究室の仲間でまた飲みたいものだ。
あの当時の研究室の先輩達を先輩とは思っていない,仲間だと思っている。
江畑謙介のその一人だった。



やっと一人とつながった。
今日午前中に葬儀を親族で済ましたそうだ。
同期も2名しか出席しなかったとのことで,
偲ぶ会をやるので,焼香はその時にとなった。


それにしても,当時の人々での飲み会を開かないとと思う。
50歳を過ぎると亡くなる人が増えてくる。