6/2-6/12のLA,Las Vegas,Detroit近郊への家族での車での旅行

書きかけのメモのコピー。
これを更新予定。



ロスアンゼルス・エリアの空&フリーウェイ:I405を南へ向かう



2011年6月LA,Las Vegas,Detroit旅行


今回の旅行は大変だった。
いつも旅行する時は、一ヶ所に留まる旅なのだが、
今回はあちこちへと車で回って、運転で疲れた。
でも充分に楽しめた。



旅行目的


1.娘の学校,アパート訪問:


下の娘が去年9月からカリフォルニアのUCSBとういう大学に留学し、6月に帰国予定。
自分では子供たちの学校や生活などを見ておきたいという気持ちがあり,
今回も学校,初めてだが娘のアパートなども見ておきたかった。


2.アメリカの叔母に会う:


デトロイト郊外に住む叔母の家へ。
この前行ったのは,1998年だから13年も前だ。
また行きたいと思っていたので,今回訪問しようと思った。


3.家族での海外旅行:


2002年にSanta Monicaへ行ったのが,この前の家族旅行だった。
上の娘も会社を休めるというので,皆で向こうで旅行となった。
そろそろ娘達と一緒に皆での旅行は終わりだろう。


旅程


・2011年6月2日:成田からLAXへ,そのまま娘の住むGoletaへ。
        その後、娘も一緒にSanta Monicaのホテルへ戻る
・2011年6月3日:車でLas Vegasへ。Las Vegas泊。
・2011年6月4日:Las Vegasから戻って,Santa Monica泊。
・2011年6月5日:一日上の娘に付き合い
・2011年6月6日:上の娘が帰国。女房,下の娘と3人でLAXからの夜便でDetroitへ。
・2011年6月7日:午前中にデトロイト到着、叔母の家へ行く
・2011年6月8日:叔母の家
・2011年6月9日:叔母の家、夕方にデトロイト空港近くのホテル宿泊
・2011年6月10日:早朝にLAXへ。娘をGoletaへ送り、日本へ送り返す荷物を郵便局へ。
        LAX近くのホテル宿泊
・2011年6月11日:LAXから成田へ
・2011年6月12日:午後に成田到着


今回の旅行の感想


・とにかく車で走った。
6/2-6/6のLA,Las Vegasだけで950マイル走った。
主な内訳は、
Santa Monica-Goletaが101mile,
Santa Monica-Las Vegasが283mile,
Santa Monica-Laguna Beachが67mile
その他に、
Santa Monica-Goletaをもう一回と
Detroit Metropolita Airport-Clay TWP、MIが60mile


合計で、950+101*2+60*2=1272マイル=2047キロ


・結構忙しいスケジュールで,一人で全て運転したので疲れた。
車の運転中に疲れると,フリーウェイを降りて休憩したので,危ない思いはしなかった。
しかし、よく事故を起こさなかったものだ。
時差ぼけ、旅の疲れ中を、いきなり不慣れな2時間のドライブから始まった。


・Santa Monicaのホテルはロケーションが良かった。
しかし夜の3rd Street(サード・ストリート)での
ストリートライブは10年前ほどではなかった。


・Santa MonicaのMain Streetの方は、落ち着いた雰囲気の良い街だった。
・Laguna Beach、Santa BarbaraなどBeachが良い。


・10ヶ月だが娘の英語の上達度合いが素晴らしい。特にヒアリングは格段のあがった。
しかし単にアメリカに留学したからではないようだ。
娘の日本からの友人たちの英語は余り上達していない。


・米国内でもオーバー・ナイトでの旅行は疲れる
・カリフォルニアに比べて、ミシガン州が異常に暑かった
・Las Vegasが面白い。Bellagioの噴水は素晴らしい。金曜日夜の酔っ払いは見物
・成田-LAXの飛行機とSanta Monicaのホテル以外はExpediaで予約した。結構便利だ。
・事故もなく,大した問題もなかった。
・一回だけ問題に遭遇した。
Las Vegasから帰るときに,ホテルの駐車場で車を探すと見当たらず,探し回った。


・レンタカーが高い。
レンタカー代が高いのではなく,保険が高い。
日に38ドルなどと言われ,一日のレンタカー代より高い。


・成田とLAXとの往復には大韓航空Korean Airlineのエコノミークラスを使ったが,
食事も美味しかったし,映画などの設備が非常に良かった。
映画の本数などは,今は他の航空会社でも同じなのかな?




20110602 出発


朝から雨で、可也寒い。
暖かい格好に着替え、トレーナも追加で持っていく。


女房、娘と3人で、10時に家を出る。
じいちゃんに駅まで来てもらって、傘を持って帰ってもらう。


12時半頃に成田到着。
チェックインは簡単、携帯電話を借り、うどんで昼食。


14:50頃の定時出発。
Korean AirA380を使っていると機内誌に出ているが、
座席ポケットの避難路の説明にはA330とある。



機内は、2-4-2の座席配列だが、
3人横に並ぶ席は、一番後ろしかないとのことで、最後列の53列。
しかし機体後部の狭くなる部分なので、
座席配列が2-2-2になっていて、通路が広く気持ちがいい。

隣に客もいず、広い感じがする。でも2座席では横に寝れない。


エンターテイメントは、各座席で最新映画からいろいろと選択できる。



食事も美味しい。カルビ丼と到着前の韓国風お粥。

韓国風お粥。


定時に到着。


いつものように、入国審査の列は長い。
両手の指紋、顔写真まで撮られる。まるで犯罪者。
珍しく税関でも長い列。でも直ぐに通過できた。


シャトルバスでレンタカー屋のDollarオフィースへ。
Dollarの係りは何かオプションを客に売っているのだろう、
長い列にも関わらず、中々進まない。


LAのレンタカーは安いが、保険が高い。
2日からの5日間で120ドル程度なのに、保険は1日で38ドル。


やっと車に乗って、Santa Monicaへ向かう。
久々のLAで、道が判らない。
散々迷って、405に乗ったが、昼時のためか凄く混んでいる。
直ぐに405を降りる。
何となくLicnoln Blvdへ出たので、
Marina Del Rey脇を通ってSanta Monicaに到着。


Hotel Carmelは直ぐに見つかったが、
ホテルに車を横付けするために、2周ほど回る。


チェックインは直ぐにできた。

部屋はまあまあの広さでQueen Size Bedが2つ。
それぞれに二人が寝るには狭くはない。
しかしベッドが高い。マットレスが高過ぎ。落ちたら大変だ。


このホテルは、建物、部屋も、エレベータも古いが、立地が素晴らしい。
裏が3rd Streetで夜中まで遊べるし、直ぐ先はビーチだ。


Santa Monicaなので、フリーウェイの10号は直ぐわきだし、ルート66の起点でもある。


関係ないが、このホテルはインド人の経営のようだ。


コーヒーとパンの朝食は、1階ロビーで、6時半から。


165ドル+14%のTax。
メールで予約した。
但し、返事が少々遅い。
しかし、1回のメールで用が済まない。
1通のメールで複数の質問をしても、
1つの質問にしか回答してこない。
メールのやり取りに、慣れていない様子。


昼に3rd Streetへ行くが、
結局Santa Monica PlaceのFood Courtで昼食。
Santa Monica Placeは最近改修したようできれいだ。


ピザとスープが美味しい。
寿司が人気のようだが日本人には?
海側にはテラスもある。


少々ホテルで休もうと思っていたが、
直ぐに、下の娘の住むGoletaへ行くことにした。


ホテルには駐車場がなく,バレットなので,
車を持ってきてもらうことになる。
毎回チップが必要なのと、頼んで待っている面倒さがある。



Santa Monicaから海岸線を走る1号線、Pacific Coast Highwayを北上。
海岸線がきれいだ。





しかし時間が掛かるように思える。
途中から101に合流して、Freewayのスピードになって。


娘に電話して、Exitを聞く。
結局、2時間少々掛かった。


Goletaは田舎町で大学以外なにもない。
大学の駐車場で娘とその友達と合流。





大学内を案内してもらい、お土産を購入。
男の友達もやってきた。
全て日本人。
やはり日本人でかたまってしまうようだ。


しばらく話して、娘のアパートへ。
沢山のアパートの建物がある。



2ベッドルームのアパートで,各部屋にベッドが2つあり,4人でシェアしている。


同室の子は、韓国人で日本語も話せる。


可也広いが、まあアメリカの普通のアパート。
でも4人でシェアして各人が500ドルだから高い。
私らが20年前にケンタッキー州で借りていたアパートはもっと広くて600ドルだった。
まあ,田舎なことと,20年も前なので比較にはならないが。


その後フランス人の娘が帰宅。
さっき合った男の子たちも来て、皆で話し。
最後のもう一人の韓国人を待って、6時になってしまった。
娘は、この子とは今日が最後だそうだ。


下の娘も乗せて、今度は101から405経由で10号線でSanta Monicaへ戻る。

幸い、そんなに暗くならない内に到着。


皆で3RD Streetの店で夕食。まあまあのイタリアン。


残念ながら、StreetではLos Pongosは演奏していないかった。
2002年にSanta Monicaに来たときには,
Los Pingosの素晴らしい歌声を毎晩聞いていた。



サンタモニカのサードストリートにあったオブジェ



20110603 Las Vegasへ


早朝に起きて、
コーヒー、パンを部屋に持ってきて、
朝食を取りながら、出発準備。
良く寝れて、時差ぼけもない。


ホテルをチェックアウト。
翌日夜には,また来るので,ホテルに大きな荷物は預ける。


Las Vegasへ向かう。



Lincolnから左に曲って、直ぐに10号に突入。
10でLAエリアを横断する。可也長時間走り、15号へ乗って北上。
15号に乗ると、直ぐに道路わきの建物が減ってくる。少々走ると、街もなくなる。


ガソリンも心配なので、Devoreという町で降りて給油。

何もない。215号との合流地点で15号への戻り方を少々迷う。


15号は完全に砂漠というのか、何もないエリアを走っている。
時々家が見える。
砂漠のような風景は,これはこれで,綺麗というのか,少々感激的な風景だ。






Bakerという町で降りて昼食。
砂漠の中の町だ。デニーズとか,いくつかレストランがある。

やっぱり、空が大きくて綺麗だ。


久々のアービーズでハンバーグ。
美味しい。ポテトフライが良い。
チーズ付きを頼まなかったのが残念。


同じような景色ばかりの中を走る。


途中で娘が、友人がデスバレー国立公園に行きたかったのに、行けなかった話をした。
女房が旅行案内で、干上がった湖があると見つける。
I-15の途中にも、2,3の干上がった湖、Dry Lakeがあるようだ。
そんな話をしていると、あった。
道が、Dry Lakeの真ん中を通っている。



今度は、道路の標識にZZYZXという表示。




(英語のWikipediaの画像)
何と読むのかねと話していた。


後で検索すると、日本語のWikipediaにあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9_%28%E3%82%AB

%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E%29


日本語では,ジージックスと書くが,発音は「ザイジクス」の方が近いそうだ。
昔は有名な場所だった様子だ。
砂漠には無くなってしまった町が本当にある。


ネバダ州に入ると直ぐに、Fashion Outletというショッピングセンターで降りる。



上の娘が何かを買いたくてしょうがない。
何と言うことはない,田舎のさびれたショッピングセンター。
客も少ない。



やっとこさLas Vegasが見えてきた。

今まで車は多くなかったが、Las Vegasが近づくと、車が増える。


うまい具合にホテル脇の道に出て、そのままホテルへ。
Bally's。Las Vegasの中心の交差点の脇。



女房、娘、荷物を降ろして、Self Parkingのビルに駐車。


駐車場のビルからエレベータで下へ降りると、
迷路のようなショッピング街。
案内所で,Bally'sと言って道を聞いたが、Parisへ行ってしまった。


ホテル名を正確に覚えてなく、
ホテル名の最後の発音を間違えて、ズでなくスと発音したので、
Parisと思われ、Parisの方向を教えられたようだ。


長いショッピング街を抜けて、
やっと女房達の待つホテルのチェックイン・カウンター前。
またチェックインに時間が掛かる。


やっと入った部屋は広い。
窓はホテルの裏になっているが、
幸いにもBellagioの噴水ショーが半分ほど見える。



ホテル内もカジノなどで遊びが一杯だが、
ホテルからの出口、通路と趣向が凝らされている。


交差点上の歩道橋を渡って、Bellagio経由でCeasars Palaceへ。



12年前の記憶では、Ceasers Palaceのショッピングセンターを探すが判らない。
地下だと思っていたが、1階だった。


12年前に会社のセミナーで、ここに泊まり、時間ができた夜中に買い物に来た場所。



女房も娘たちも驚きの大きさのショッピングセンター。
Forum Shoppingと呼ぶようだ。


12年前にはなかった部分も追加されていた。
カーブしながら上下するエスカレータがある、3階建てのビルが追加されている。



見ものだが,ただ唯,巨大な迷路のようなショッピングセンターだ。


Forum Shoppingから外へ。



歩道からCeasers Palace前を通って、
Bellagioへ戻り、The Baffetというレストランへ。
下の娘のUCSBの友人のお勧め。


6時少々過ぎで早かったためか、待つことなく入店。
服装検査もあって、との話だったが、全く関係ない。服装もうるさくはない。
しかし7時頃からは凄い混み方で、入り口では長蛇の列だった。



確かに、いろいろな食べ物があって面白いが、
食べるのが趣味でないからか、余り面白いとは思わなかった。
食べ物も特別美味しい訳ではない。

大好きなバーベキューリブやカニなどを食べたが。
これで一人38ドルくらいと、結構高い。


Bellagioの噴水ショーを見る。
これは素晴らしい。
12年前にも仕事の合間に、何回も見たが飽きない。
これだけ素晴らしい噴水のショーを他に知らない。




上の娘は疲れたとホテルへ帰る。


女房と下の娘と一緒にTreasure Islandへ。
ショーまでは20分ほどある。
狭いエリアにいっぱいの人。



ホテル入り口のバーでビールを購入。
ビールを買うだけでも、可也の待ち。
ビールはビンでなくプラスチック容器。
飲み終わったビンが問題なのだろう。まあ考えられているようだ。


ショーが始まるが、歌もダンスも大したことはないが、
爆発の炎が暑い。これは12年前も同じだった。
これだけが、見る価値がある。


Venniceへゴンドラを見に行く。
1階かと思ったら2階だった。
ビル2階に良くこういうベニスの運河を模した場所を作るよな。
でも唯のゴンドラで面白みはない。



ここで女房、娘と別れ、一人でホテルへ戻る。


金曜日夜のためか、道路はいっぱいの人で、酔っ払いばかり。
若い女性の4,5人のグループが多い。
それもグデングデンに酔っている。
ハイヒールを片手に裸足で歩いている子も多い。
新宿歌舞伎町や渋谷よりヒドイ。



やっとこさホテルに戻る。
先に寝ていた上の娘は元気を取り戻していた。
一緒にビールを買いにホテル内の売店へ。


その内に下の娘から電話でホテルに戻ったのこと。
上の娘も出て行って、一緒にスロットルマシーンで遊んだようだ。



20110604 Las Vegasから戻る


10時にチェックアウト。皆で荷物を持って駐車場へ。


車がない。
さあ大変だと思ったが、駐車した階を間違えていた。
6階でなく3階だった。



レンタカーに付いていた無線でクラクションを鳴らす仕掛けで車の場所が判った。
フロアーを上下しながらクラクションをオンにして車を探した。
5階だか4階を探している時に、クラクションを聞いて、3階にあるのが判った。


助かった。
これがなかったら、
広い駐車場をくまなく探し回って、
ない時はレンタカー屋、警察に連絡しなければいけなかった。


車に荷物を積んで、New York New Yorkを目指して歩く。
途中の土産物屋、ファーストフードなど、
いかにも観光地という猥雑なエリア。


コーラのビルがある。

店内ではコーラ関係の商品。


途中のFood Courtで朝食。


New York New Yorkへ入るが、余り面白くはない。
外のBrooklin Bridgeは少々いいかな程度。



Paris脇に戻ると、疲れきる。少々休んで車で出発。


直ぐに15号に乗って、いきなりLas Vegasの雰囲気はなくなった。


またもや娘の買い物でFashon Outletへ。

女は買い物ばかりで嫌になる。


15号を走るが、またもや何もない道路をずーっと走ることになった。
昨日は珍しい風景だったが、もう珍しくもない。
75マイルの制限速度なので、皆85マイルほどで走っている。


可也疲れてきたので、Barstowという町で休憩。
ここでVONSというスーパーで上の娘の買い物。
アメリカのスーパーは巨大だから面白い。



その後、スターバックスに入って休憩。
田舎街のスノッブが集まっている様子。
じいさんが一人でパソコンを持ち込んでネットで何かしている様子。
止まっている車も高級車がある。田舎街と馬鹿にはできない。


少々の休みで疲れは取れた。



土曜日なので、車はそんなに混んでいないが、
スピードを出しながら山道を下る時は、少々怖い。


難なく10号へ乗る。途中で事故渋滞で少々混んだ。
事故現場を過ぎると、また普通のスピードに戻る。


バイクが3台やってきて、2台は直ぐに抜いていった。
最後の1台も抜いていくと思ったら、
運転手が辺りを見回して、ウイリーで走り始める。


女房にビデオを撮れと言ったのに、まごまごしてビデオに撮れなかった。

かろうじて、バイクの写真のみ。


まあまあの混み具合のLAフリーウェイを、
数分間ウイリーで走るバイクは見ものだった。
ビデオに撮れなかったのが残念。


暗くなる前にSanta Monicaに到着し、元のHotel Carmelへチェックイン。
今度は角部屋で、海岸も見えるし、部屋も少々広い。


下の娘とスタバでコーヒーしながら、ネットへアクセス。


また3rd Streetで夕食。
今度はスパニッシュギターDuoを聴きながらの食事。
Seis Cuerdas
ビデオばかり撮って、写真がなかった。


CDを購入。
Solo Guitarras
Seis Cuerdasと言うようだが、読めない。
凄いギタリスト達だ。英語は余り得意でない。


ホテルへ帰る前に、酒屋でビールとウイスキーを購入。
ホテルでウイスキーを飲みながら、レースのテレビ番組を見ていて寝てしまった。


20110605 上の娘の最終日で、1日Santa Monica周辺。


朝はゆっくり起きて、Santa Monica Beachのビーチへ。

曇っている。


ピアでは昔と同じような土産物屋ばかり。
昔,娘達の名前を書いてもらったことを覚えている。
上の子は未だ部屋にあるとのこと。


Santa Monicaはルート66の終点だか起点だか。



車で、上の娘のために、Santa MonicaのCVSへ。
化粧品を買うそうだ。
暇なので隣にあった漫画屋へ。
日本物や昔のアメリカのアニメ雑誌を売っている。


浮浪者を数人見かける。
少々頭のおかしそうな人々のようだ。
何かを言い続けたり、行ったりきたりする人とか危なくはないが、少々・・・


Venice Beachを歩くが、ここも変わっていない。
ロスアンゼルスの海岸というとここがでてくる。



朝とは打って変わって、晴れた。

カリフォルニアの明るい空だ。


半分ほど歩いて、飽きたというので、車で戻る。


途中で娘が面白そうな町並みを発見して再度駐車。
Santa Monicaの10号線の反対側のMain Street沿いの町並みだった。

Santa Monicaの古い街なのか?


女房や娘達は、またも買い物。


適当に歩いていて、古本屋でレコードも売っている店を発見。
ロック、ジャズ系のレコードが結構ある。
ジャズ系を見ると、10ドルから20ドル程度が多く、一般的なレコードが多い。


3ドルで21人のトロンバー奏者のレコードを発見。
何とか持っていけるだろうと購入。
女房のボストンバッグの片側の一番下に入れて持って帰ってきたが、
レコードは壊れも、曲りもしなかった。


店の主人がこれは結構あるが、録音がいいよ、と言う。
始めて見るレコードでどんな音楽なのか楽しみ。


残念ながら、
帰国後聞くと、ロック的なポップな演奏で、
ジャズ的な面白さはない。


夕方前にホテルへ帰る。
女房、娘達はまた買い物。


パソコンで写真の整理。
Starbucksに行って、Facebookへ6/2分、6/3分の写真をアップ。
1.50ドルのコーヒーだけで、ネットが使える。
これは確かに使えるな。
沢山の人がPCやiPadなどを使っている。
電源も用意されている。


夕食では、珍しく娘がタイカレーと言い出す。
2002年に来た時に皆で食べて美味しかったタイカレー屋はつぶれていて、
1ブロック隣のタイカレー屋。


結構綺麗なレストラン。
アルコールのサービスは良いが、食事を出すタイミングが遅すぎ。
上の娘が怒る。
まあ文句は言わなくて良いがとなったが。
グリーンカレーはまあまあの味。


怒った上の娘は、最終日だし飲むぞと飲み屋を探す。
日曜日夜なので、店も早くにしまっていて、開いている店は少ない。


British Pubでビールになった。

スポーツバー風で、テレビ画面が幾つもある。
入る時に自動車レースを放映していたので、良いなと思ったが、
直ぐにビートルズコピーバンドの演奏が始まり、
テレビのレースも終わってしまった。


頼んだエールビールは薬臭くて美味しくない。


結局直ぐに退散。娘たちは酒屋へ行って何かを買ってきた。


20110606 上の娘の帰国日、Laguna Beachへ、夜中にデトロイトへ移動


7時に起きてチェックアウトの準備。


ハイウェイの乗らず、下の道路でノンビリと空港へ向かう。

細かく地図を調べずとも、
大体の方向だけで8時半には空港に到着。


Korean Airlineのビルも直ぐに見かった。
車を駐車場へ入れるが、空いたスペースが中々ない。


やっと空港ビルへ行くと、娘のチェックインは完了していた。


またもやMacの朝メニューにソーセジ・マフィン。
10時半過ぎに、上の娘はセキュリティ・ゲートを通って、帰国の途に。




夜まで時間がある。
どうするかと言うので、私の希望でLaguna Beachへ向かう。





405号線を南下。



South Coast Plazaの話になったので、行くことにした。
405を降りて、記憶通りの道でSouth Coast Plazaへ到着。



ここも懐かしい。
1999年に勤務していた会社の本社が近く、
毎月のように来たエリアで、
このモールにも頻繁に来た。


女房と下の娘は買い物。


昔通っていたオフィースを見に行く。
大体の場所は判っているのだが見つからない。
付近をぐるぐる回るが判らない。
12年前にことなので、記憶も確かでなく、
付近の様子も変わっているし、
オフィース自身が移転している可能性もある。


あきらめてショッピングセンタへ戻り、女房、娘と合流。


55号でNew Port Beachへ。
そのまま進んでBalboa Islandへ入ってしまった。

どんどん進むが記憶にある小さな遊園地を発見できない。
あきらめて戻ると、もう一本奥の隣の道路だた。


そのまま1号に戻って、Lagna Beachへ。直ぐに到着。




女房も娘も喜んでいる。
角のレストランで食事。



Laguna Beachの象徴的なLife Guradの建物前で写真。

画像が暗くて自分の顔が判別付かない。
私の安いデジカメは光の方向で、写り具合が悪い。


一人でLagna Beachの海岸を散歩。

前からFlickrなどで見ていた写真の通りの場所だった。


Beach終わり付近で崖の上に上る階段を発見し、
1号の歩道へ戻る。


途中で、崖の上のレストランを発見し、娘に電話。
女房と娘は直ぐ前に居た。
レストランはコーヒーだけではダメとのことであきらめ。

ここを知っていれば、下のレストランでなく、
直ぐに上がってきたのに、残念。


ぶらぶらとウインドーショッピング。



いや、良い街だ。

今度来る時には、ここに泊まりたい。


5時過ぎにLAXへ向かう。



意外にも6時過ぎにレンタカー事務所に到着し、
まだ時間があるので、Manhatan Meachへ行く。



駐車して桟橋を散歩。寒い。
回りの人はシャツ一枚とかランニングシャツとか短パンで、信じられない。



8時半にレンタカーを返す。


レンタカーは6/2 10:35に借りて、6/6 20:20に返却。
32760マイルで借りて、33719マイルで返したので、
959マイル走ったことになる。
1540キロメーターになる。
良く走ったよな。


レンタカー屋のシャトルバスで空港のターミナルへ。


9時半頃にUS Airwaysチェックイン。
12時の出発だがカウンターに設置してあるKioskに、
氏名と始めの行き先を入力して、簡単にチェックイン。


但し、預ける荷物は25ドル、2つ目以降は35ドルと非常に高い。
女房の大きなトランクだけを預けた。
と言うことは、各自が小さなバック/リュックと大きなバックを持つことになる。


US AirwayもLCCのようで、航空運賃は安めだが、何でもオプション。
機内での毛布や、食事も有料。
なにも購入せず。


始めの飲み物はサービスだったようだが、
搭乗後直ぐに寝てしまったので、機内では何も貰わなかった。


次にセキュリティ・チェック。
何でも外せ、脱げで、上着、靴まで脱がせてのチェックはやり過ぎ。
アメリカ/政府がテロを恐れている現われだろう。


ベルトの大きなバックルでベルが鳴ってしまった。
結局デジカメを首から吊るすストラップを取り戻すのを忘れてしまった。


セキュリティ・チェックの奥には、食べ物屋、お土産物屋がある。
ここで夕食。しかし10時に食べ物屋も閉店。
インターネットへの接続は沢山あるが、
全て有料サービスか、空港内の企業のネットワークで、何もつかえず。


沢山の人が、皆思いおもいの方法で、Gateで待ている。
夜中の出発は大変。


LAXからは定時の夜中12時に出発。


20110607 デトロイトから叔母の家へ


大した遅れもなく、朝7時半頃にフィラデルフィアに到着。



夜中12時発で7時到着だが、3時間の時差なので、4時間のフライト。
2時間ほどグッスリ寝れた。


フィラデルフィアは大きな空港で、
次の乗り継ぎ便のために、
A8のGateからB8のGateまで歩かないといけない。
コンコースが違うので、結構な距離。


待ち時間は1時間程度、でまた朝食。
フレンチトースト、ベーコン、ポテト、スクランブルエッグに
コーヒーという定番朝食で、8ドル少々。
取りすぎで、可也の量を残した。


8時50分の搭乗はすんなり始まったが、
一番最後に搭乗したので、荷物を入れるコンパートメント探しに時間をくう。
離れた席に荷物を入れたので、降りる時が面倒。


飛行機は、少々の遅れで動き出すが、滑走路に止まったまま。
その後のアナウンスで、途中の雨がヒドイので少々待つ、
そのうち、燃料の追加をすると、またターミナルへ戻った。


結局1時間遅れでの出発で、30分遅れて、Detroit空港に到着。


暑い。
LAでは、そんなに暑くなかったのに、ここは既に真夏だった。
東京ほど湿気はないが、直射日光が強く、暑い。


機内の荷物を取るのに少々時間がかかって、殆ど最後に飛行機を降りた。
預けた荷物をピックアップして、レンタカー屋へ。


レンタカーは、またもDollar。
いろいろなことを聞いてきて、面倒。
でも、まあ空いていたので30分ほどで、車を借りれた。
ここでも、やはり保険が高い。


娘の携帯電話から、叔母に電話。
可也待っていた様子。
スケジュールが変わったことを伝えていたが、判っていなかったようだ。


レンタカー屋を出る前に、
ライト、ウインカー、後ろのトランクの開け閉めの方法、
高速道路への出方などを確認。
いつも走り始めてから、戸惑うので事前に確認。





やっと出発し、簡単にI-94に乗れた。


最後に来たのが、1998年だから13年ぶり。
道の様子が、記憶と違う。
女房のナビでExit243でAlgonac方面の29に乗った。
田舎道だが、これも記憶と違う。


女房が詳しい地図が欲しいと言うので、小さなガソリンスタンドへ。

田舎町のため詳細な地図はない。
結局ミシガン州の地図を購入。
カナダは直ぐ脇だが、ミシガン州の地図にはカナダ側は出ていない。


可也走って、やっと記憶していた酒屋でビールを購入。
ここからは叔母の家は近い。


叔母は庭で植木の手入れをしてた。
13年ぶりの叔母は、髪を短くしているので、若返って見える。
ヨボヨボな様子を想像していた。
やはり完全にアメリカ人の叔母は、元気だ。


直ぐにビールを飲み始め、女房は洗濯。


ステーキ、パスタなどで非常に遅い昼食。
今までは雨が多かったが、今日から暑くなり始めたとのこと。
私たちが帰るときには、また少々寒くなるとの予報だそうだ。



一寝入りすると、洗濯も終わっている。


皆でドライブがてら、アイスクリーム屋へ。



Algonacの町の博物館脇の公園。
カナダへのフェリー乗り場脇。



子供たちが水に入っている。
のどかな田舎町。


ガソリンが高くなっていて、ガロン4ドル前後。
22,3年前に、私たちがケンタッキーにいた自分はガロンで1ドル程度だった。


叔母の車はガソリンが無くなった表示。
途中でガソリンを入れたが、10セント安かったと言っている。
アメリカ人は結構金には細かい。


日没は9時半頃で、何時までも明るい。
庭のパティオで叔母、女房とビールを飲みながら話。


日が暮れて、シャワーを浴びて、何となく寝てしまった。


20110608 アメリカの田舎生活


少々寒さを感じて目覚める。3時半。


掛けるものを探して、寝るが、結局5時に起きる。
ビールを飲みながら、旅行の記録を書く。


周りは段々と明るくなってきた。
6時を過ぎると完全に明るい。
叔母の家の冷蔵庫の音以外、近所からも何も物音はしない。


7時に叔母が起きてきて、コーヒーを作ってくれた。


9時過ぎには近所から物音。芝刈り機の音も始まった。


今日は90度(33度)になるとの予報とのこと。
明日は少々気温が下がり、私たちが帰ると、25度くらい下がるとのこと。
丁度良いときに来たようだ。


11時頃に声をかけて、女房と娘はやっと起きた。
それから朝食。


叔母は、昼食に寿司をご馳走したいと来た時から言っていた。


11時の朝食で腹いっぱいだが、1時過ぎに昼食に出掛ける。
叔母はフリーウェイは嫌いなので、ローカルな道路を走る。


何となく記憶にある道路の名前。
デトロイトエリアにも頻繁に仕事で来て、車で走り回ったので、
あちこちの通りの記憶がある。


行った寿司屋は日本人でなく、多分韓国人の経営。
寿司はまあまあかな。



叔母、女房、娘は、またシッピング。
自宅で留守番のオヤジ、妹への土産も買う。


明後日の飛行機は朝早いので、
デトロイト空港近くのホテルに泊まることにした。


ホテル探しと予約のために、ショッピングセンターで無線LANを探す。
Macy'sで無料の無線LANを提供していた。


Macy'sの入り口のベンチでパソコンを広げて検索。
結局、Confort Innを予約。
でも印刷はできないし、叔母の家ではネット接続もできないので、
Note Padに書き取る。


少々ドライブして、またアイスクリーム屋へ。
暑い日なのでアイスクリームが美味しい。



帰宅してから、またビール。
叔母と少々話をして、昼寝。
良く寝れる。


明晩のホテルの行き方を地図で確認。
空港の脇だ。
予約番号、住所などもメモに書き写す。


夕食だと起こされる。
今度はホットドッグ。


11時に叔母は寝る。
最後に残っていたビールを飲む。


皆12時には寝る。
久々にiPhoneソリティア
ゲームをしていると、叔母が起きてきた。
黒いパジャマで暗い廊下に立ていたので、驚いた。


12時半に寝る。


20110609 今日もリラックス日、空港近くのホテルへ移動


9時半に娘が来て目が覚めた。
久々に遅くまで寝た。


昨夜は、凄い雨風だったとのこと。
皆、目が覚めたそうだが、全く気が付かなかった。



今日は少々涼しい。
少々寒く感じる時がある。


朝から叔母の家の前で大きな魚がいるようだ。
じいさん二人がボートで入ってきて、魚を釣っている。



30センチほどの魚がつれた。
残念ながら写真を撮っていなかった。


フライフィッシュで、キャッチ・アンド・リリースだ。
魚を食べないのかと聞くと、魚はレストランで食べるとの答え。
釣りは全くの遊びのようだ。


アメリカの良い田舎生活だ。


12時頃から朝食。
昨日の残り物と、卵焼きなど。作る量が多く、満腹。


雲行きがおかしい。
外に出ると、少々寒く、
長袖のシャツを着て、その上にトレーナーを着る。
一昨日の到着した日とは大違い。


叔母は、またもや外で食べさせたいと、2時半に昼食にでる。


そんなに遠くない湖畔のレストラン。
以前2回ほど来たことがあると思ったが、
叔母も、女房も違うだろうと言う。


殆ど腹が減っていないが、何とか注文。
私は、BBQ Rib、女房はカニ、娘は海老で、それぞれ結構美味しい。



アメリカで昔からあるレストランと言う感じで、
飛行機のプロペラとか、新聞とか、釣りの飾り物。
レストラン中央には、肉を焼くような大きな暖炉。
掛かっている音楽は70sというのかビージーズとか懐かしい音楽ばかり。


レストランを出る前に、ウエイトレスに皆の写真を撮って貰う。


レストランを出ると、いよいよ降り始めそう。

叔母はタバコを買いたいと小さな店による。


その後雨になった。
叔母と別れ難く5時半頃にデトロイト空港へ向かう。
これで、またしばらくは叔母と会えないだろう。
これで最後かも知れない。


帰宅のラッシュとは逆で道は意外と空いていた。


6時半にデトロイト空港エリアに到着。
Confort Innにチェックイン。
空港脇のホテル街の外れ。



レンタカーを返す前に、久々のBig Boyで食事。



レンタカー返却前にガソリンの給油。

ここでも支払機が日本のクレジットカードを認識しない。


レンタカー屋は空いていて直ぐに返却。



どこのエアラインというので、ホテル宿泊だというと、
シャトルバスで送ってくれるという。
ホテルの場所を知っている運転手を確認してくれて、送ってくれた。
たった一家族、3人のためだけに、5分ほどだが、
ホテルまで車で送ってくれた。


素晴らしいサービス精神に感激。
アメリカでは珍しいと思う。
これで家族3名がDollorを好きになった。
初めは、レンタカー屋からシャトルバスで空港まで行き、
空港からホテルまでの、また別のシャトルバスでと思っていた。


ホテルには、バー兼レストランがあり、
朝食は4時から無料で、コーヒーとパンだけでなく、
ソーセージ、ヨーグルト、ポテトなど結構いろいろとある。


パイロットやスチュワーデスたちも泊まっている。
空港近くのホテルは、朝早い便か夜凄く遅い到着便の客が泊まっている様子。


空港までの無料のシャトルバスは30分おきに出ていて、事前に登録が必要。


叔母の家から持ってきたビールを飲みながら、テレビを見る。
チャネル数が多く、テレビも楽しめそう。


無線LANが無料で使える。
でも、回線が非常に遅く、使うのを諦めた。


12時頃に就寝。


20110610 LAXへ移動、下の娘と最終日


4時起き。
叔母の家では皆寝れたのに、今日は寝れなかった。
辛い1日になりそうだ。


ホテルの朝食は4時から。
コーヒーとパンを取って来る。
女房と娘は、ワッフル、ヨーグルト、ソーセージといろいろと持ってきた。


早朝出発の宿泊者が多く、20人近い団体が居て、驚き。
5時のシャトルを頼んだが、幸い、この団体は4時半だったようだ。
それでも5時のシャトルには3組6名が乗った。


Frontier Airlineの6時15分発の便。
カウンターでチェックインしている人は多くはない。


しかし、セキュリティ・チェックでは、長い列。


アメリカのセキュリティ・チェックは異常だ。
ジャンパーなどの上着、靴まで脱がして、
何割かはボディースキャンまでする。
アメリカが如何にテロを恐れているかの証しなのだろう。



6:15発のデンバー行き。
いっぱいの人。
荷物を預けると金を取られるので、皆手持ちにしている。
そのおかげで、座席上の棚がいっぱいで、
スペースがなくなると、自分の座席からとてつもなく離れた棚に置くことになる。
置くのはいいのだが、降りる時に国内線の狭い通路を前に出る人に逆らって、
後ろまで荷物を取りに行かないといけない。


デンバーへの便はオレンジカウンティーまで行く。
この方が早かったようだ。
且つ、FrontierはSanta Barbaraへの乗り入れているので、
Santa Barbara便だと娘を送り届ける手間がなかったのにな。



7:30にデンバー到着。
デンバーデトロイトとは2時間の時差なので、3時間ほどの飛行時間。


凄い数の人が乗り継ぎを待っている。
幸い乗り継ぎゲートは隣だった。
全く別の航空会社への乗継だと、広い空港内の移動だけでも大変だろうな。


次の便まで1時間ほどの待ち。
この間にサンドイッチとコーヒー。
女房が珍しく、サンドイッチが美味しいと感激している。


ロサンゼルスまでの便は、定刻どおりに出発、到着で、10時にはLAX。
でも到着したターミナルビル6は、改装中で、判り難い。



娘とアパートをシェアしていた韓国人の一人が
11:30のKorean Airlineで帰国すると言うので、
娘は携帯電話で、まだロビーに居ることを確認し、
2つほど隣のビルまで走って会いに行った。


ここで借りるレンタカーはFox Rental Car。
聞いたことがない会社。
予約画面の印刷には、”電話してシャトルを呼べ”となっている。
ターミナルビルのレンタカー屋への無料電話でFoxに電話するが、
シャトルがあるとのアナウンスのみ。


シャトル待ちのエリアで、数分待ていると、確かに、シャトルが来た。
結構いっぱいになった。


FoxのオフィースはCentral Blvdで、泊まるHiltonの直ぐ近く。


このレンタカーはHiltonの予約とセットになっていて、
レンタカー自信は無料。
でもやはり保険で40ドルとTaxになり、結局50ドル近くなる。


レンタカーはホンダかと思ったら、Hyundiだった。
まあ車は悪くはないが。
確認すると、ガソリンが殆ど空。
空で貸りて、空で返すタイプのようだ。


チェックインのために、Hiltonへ。
Self Parkingに入れたが、地下3階から6階で、
空きスペースが殆どなく、またそれぞれの駐車スペースも狭くて、大変。


とりあえず地下6階に駐車スペースを探し出し、
荷物を降ろして、チェックイン。
Hiltonの隣のパーキングビルに止めたほうが簡単そう。


久々に普通に大きなホテルに泊まる。


クリシュナのような宗教団体と思われる集会を開いているようで、
同じような白い服を着た人がいっぱいいる。


LAX空港近くと言うこともあってか、いろいろな国の人々がいる。


チェックインは意外と早く終わった。



部屋は12階で到着滑走路に面している。
但し、着陸する部分は見えない。



1時に、娘をアパートまで送り届けるために、Goletaへ向かう。
腹が減ったが、とりあえず向かうかとフリーウェイ405に乗る。


405から101で2時間程度が普通。


しかし、あちこちで工事中のため、のろのろ運転を繰り返す。


娘の荷物を日本へ向けて発送するので、
3時半までにはアパートに着かないといけないと思っていたので、気があせる。


101では問題ないだろうと思っていたが、
混み具合は101も同じ状況。


娘が友人に電話して、郵便局が5時まで営業していることを確認。
ひとまず4時半までに到着すれば何とかなると判明。


結局、4時に101を降り、時間的には間に合った。


娘の荷物の梱包を直し、友人の荷物も車に積んで郵便局へ。
金曜日夕方なので郵便局では待っている人が7,8名並んでいる。
娘と友人は、梱包材と封筒などを購入し、発送依頼の書類書き。


友人はNYCの叔母にワインを送りたいという。
列に並んでいた人に、
アルコールは郵便局では送れない、UPSに行ったらと言われる。


娘と友人には書類を書かせておいて、
UPS営業時間を調べにUPSのオフィースを探しに行く。
全く知らない地域だが、何とかUPSを探し出した。
平日は6時まで、土曜日も4時まで営業している。


娘から電話で、郵便局では発送が難しいとのこと。
娘と友人とともに荷物を再び車に積んで、UPSへ。


UPSで計量して、ボディ・ボードの梱包費用などを計算して、700ドル!!
時間もないのでまあ言いやと発送を依頼。


結局、ワインはUPSでも配達できないそうだ。
ワインは,私らが貰って帰ることになった。
今夜はこのワインで宴会だ。


学生は、何でも、何もせずに簡単に送ったりできる
などと考えていたことも問題。
毎年留学生を送っている学校だから、
過去の留学生の知恵をためる仕掛けを作ればいいのに。


学内の移動で必須な自転車も、
次の人に引き継がれずに、
そのまま放置されてしまうことになるようだ。
折角購入したものを捨てていくのは勿体ない。


6時過ぎに一応片付き、
皆でSanta Barbaraの有名シーフードレストランへ向かう。


101でなければ空いているだろうと思って
ローカルな道路でSanta Barbaraへ向かう。
この道も凄い混み方。
金曜日夕方と6月始めの学生が学期を終わる時期ということでも、混んでいるようだ。


それでも、やっとSanta Barbaraに到着。


Santa Barbaraの街は古くからのスペイン風の綺麗な町並み。
人出も多い。桟橋には、多くのヨット、釣り船などが係留されている。
何となくカーメルの街のような感じ。


天気が、良い昼間だと綺麗な場所だと思う。
残念ながら、今日は曇っていて、今にも雨が降出しそう。



レストランは客でいっぱい。
30分程度待って、やっと入れた。

なんというのかシーフードを焼いている、良いにおい。
カニ、エビ、カキなどいろいろとある。
でも食べてみると、まあまあと言う感じだ。


面白いことに、このレストランで
LAX空港からFox Rentacarへのシャトルで乗り合わせたアメリカ人のカップルと出会った。
向こうから声を掛けてきた。
それも娘と私が別に居るときに、それぞれに声を掛けてきた。
バラバラにいても、こちらを認識できたことに驚いたね
と娘と話す。


雲でいっぱいだった空は明るくなったが、雲はLA方面に移動している。
帰りが雨かとも思う。


8時過ぎに食事を終わる。
寒くなってきたので、そのまま帰ることにした。
娘たちは、途中で合流した友人の車でGoletaへ帰る。


8時20分頃に101の乗った。
流石に夜になっているので、混雑は終わっていて、可也スムーズな車の流れ。
しかし、直ぐに前と同じ状況になった。


途中で給油に止まる。
30ドルも給油してしまったが,20ドルもあれば十分だったようだ。
水とメントスも購入。


何回も混雑に遭遇。
どうもExitと合流などがある場所で,
車線が数が5車線から2車線などに急激に減ったときに,
車の隊列がそろうまでが混むようだ。
一度隊列がそろうと,車のスピードが上がる。


405に入ってからは,そんなに混雑はなかった。


結局11時過ぎに405も降りて,
Century Blvdへ出て,Fox Rentalへ車を返す。
Fox Rentalでは車を停車するのみで終わり。


Hilton Hotelまでは2ブロックほどなので,歩道を歩いて帰る。
この辺りにはホテルやレストランもあるので,歩いている人が少々いる。


ホテルの部屋に帰る。
窓から見える着陸の滑走路は既に真っ暗。
小さなデジカメでは写らない。


ベットサイドのラジオが円筒型の変わった形。

上に4つほどのボタンがあり,
JAZZのボタンを押すと,ジャズが流れてくる。
中々便利。


荷物を置いて休憩と思ったが,女房が下のバーで飲みたいと言う。


ワインを貰ってきたが,ワインオープナーがない。
1階のコンシェルジェのカウンターでポーターに、
ワインを貰ったんだけどワインオープナーがないかと聞く。


Hilton Hotelのロゴ入りの簡易オープナーをくれた。
くれるときわざわざワインの歌を歌う。茶目っ気一杯。


1階のロビーには未だ沢山の人。
バーの脇には軽食レストランとテイクアウトのコーナー。
コーヒーはスターバックス


バーでは、奥に座席と手前にバー。
バー上にはテレビが幾つかあり,スポーツバー風。
カウンターに空いた2席を見つけて,カウンターに座る。
メニューには食事もあるようだが,
照明も暗く,メニューの字も小さく読めないのでビールを注文。


生ビールもあるので2杯目は生にした。
4種類ぐらいあったが,ブルームーンという生ビールを注文。
輪切りを半分にしたオレンジがコップの端に乗っている。
これがムーンなのだろう。
味は,少々甘い,オレンジのような味。失敗。


バーでは、隣で日本人の中年男性が一人、
ビールを飲みながら、ノートブックを開いてSkyPEで話している。
一人でバーで、パソコンに向かって話をしている図は、気持ち悪い。


30分ほどで退散。


荷物を整理し,シャワーを浴びて,ワインを飲みながら,
ホテル内の無線LANでインターネットへアクセス。
ここのスピードは悪くない。


1時間のアクセスで6ドル,24時間で13ドル。
明朝も見たいので,24時間にした。
支払いはクレジットカードか部屋へのチャージ。
部屋へのチャージにしたが,
このために翌朝のチェックアウトでの支払いが発生し,面倒だった。


12時過ぎに就寝。


20110611&12 帰国


6時にラジオの音が大きくなり,目覚ましかと思って起きた。
何故か音が大きくなった,間違いだったようだ。


7時に目覚ましで起きる。
室内のコーヒーメーカーでコーヒーを沸かして飲む。
1階で無料の朝食サービスはないが,
部屋でコーヒーを沸かせるのは便利。


荷物の再パッキング。結構な大きさ。



1階のチェックイン・アウトのカウンターで
インターネット接続料の13ドルを現金で支払い。
Expediaで予約したので,宿泊料そのものは既にExpediaで支払い済み。
インターネット接続料もカード支払いにすれば、チャックアウトの処理が不要だった。


今回の旅行では,
レンタカーでもホテルでもチェックイン時に
Expediaなどでの予約を印刷して持っている人が多い。
アメリカでも(では?)ネット予約が普通のようだ。


空港までのシャトルを待つ人が多い。
24時間,15分間隔でシャトルがあるというが,
朝は人が多い様子。



少々待ってバスが来た。
小型のシャトルバスは,座席は一杯になるほどの人数。
アラスカへ行くという家族連れが2組いて,陽気に騒がしい車内。


大韓航空のカウンターでチェックイン。


係りの女性は余り慣れていないようだが,違っていた。
日本語の出来る人を連れてきた。
オーバーブッキングのようで,
2連れの客で翌日便への変更な客を探していた。


翌日は搭乗を確約して,800ドルくれるという。
10日間も休んで,その直後にも休むので,このオファーは断った。
土曜日出発便は日曜日の東京着なので,
満席になって,オーバーブッキングの可能性があるのだろう。


いつものフードコートで朝食。
日本食,中華のカウンターで私はテリヤキチキン丼。
照り焼きの味だが,チキンの焼き方が気に入らない。量も多過ぎ。


ミシガンの叔母へ電話。
しばらくは、また会うチャンスがないだろうな。


お土産の購入。チョコレートの箱は1つで10ドル程度。
16箱も買うので,金額も多いが,荷物としても大きい。
持ち帰るのが面倒。
何故、日本人はお土産が好きなんだろうか?
一人だと殆ど土産を買わないのだが。


10時半にはセキュリティ・チェックへ。
国内線と同じく,ジャケットも靴も脱ぐ。
ベルトも取って,パソコン,携帯,デジカメを別にだしての検査。
ついでにボディスキャンもされた。


沢山の関西からのツアー客がいて。この団体のおかげで満席のようだ。

若い人が殆どだが、年配の男性陣もいて、変わった団体。
企業の研修旅行のように見える。関西弁でどうも気になる。


コーヒーを飲んでいると、搭乗が始まった。


搭乗してみると、28C、Dという座席は、ビジネスクラスの直後で、前は壁。
荷物を足元へ置けないのが少々嫌だが、足元が広く、狭さを感じない。



28のA,B座席も、それぞれ一人旅の様子。
ということは、我々4名だけが個人客で、他は団体のようだ。


変わった座席なので、テレビを座席下から取り出す。
成田行きでは、昼前の出発し、成田に昼間到着なので、
少々休んで、後は起きていれば良い。


ということでウイスキーを飲みながら、映画を見る。



来た時と同じラインアップで、映画の本数は多いし、面白い映画も多い。
見始めてつまらないと途中で止めれば良い。
ということで随分見た。


Unknown、Hit List、Somewhere、・・・・・


確か5本ほど見たはずだが、タイトルを思い出せない。


食事:
始めの食事は、カレーかビビンバ丼というので当然カレー。
しかし、残念、子供向けカレーのような味で、全く美味しくない。



2回目は、パスタかチキンというので、パスタを選択。
これも余りな味。
アメリカに普通にあるクリームソース味の、短い筒のようなパスタ。
味がいまいち。
行きの成田発LAX着便に出たお粥は帰り便ではでないとのこと。


Korean AirlineのLAX行きの便の食事は美味しかったが、帰りは残念。


少々寝たが、映画を見ていたので、余り寝れなかった。
でも成田に到着しても結構元気だった。


成田には定時の3時半前に到着。
入国、荷物、税関もすんなりと行き、4時前には出てきた。


女房はリムジンバスで池袋メトロポリタンホテルまで行きたい
というので、30分も待ち。
4:35の出発。でも首都高のC1を通り、
且つ日曜日のためか、6時に池袋に到着。
確かに、電車より早いし、荷物を持って回る面倒さも少ない。


6時半過ぎには帰宅できていた。


非常に疲れたが、楽しい旅だった。
今後のクレジットカードの請求が心配だ。