初めての業務アプリケーション開発

新卒(1973年)で入った会社のときに、
コンピュータで業務アプリケーションを開発をした。


建築設備という業種の会社。
当時はコンピューターの使用自身が珍しい時代で、
建築業界という非常に古い体質の業界へ
コンピューターで作成した見積書を提出という
非常に画期的だったのだと思う。


カタカナでプリントした見積書だった。
受入れる建築会社も凄いが,これを作ると決めた会社も凄い。
そんなに先進的な会社ではないのに,誰が決めたのだろうか。


コンピューターは,Wang2200という,
今ではパソコン程度のコンピュータ。
当時はミニコンとか呼ばれていたのか。
Wangはアメリカで中国系の王さんという人が作ったコンピューターで
当時はコンピューター業界では、有名だった。
但し、日本では一部のコンピューター業界人しか知らなかったと思う。


Wang2200のファーストユーザーだった。


見積システムはベンダーのSEがBasic作成したもの。
コンピューター室という部署で運用していた。


コンピューター室では誰もプログラムを知らず,
大学でFortlanでプログラミングした私が配属になって,
初めて自社でプログラムの改修が出来るようになった。


見積システムのBasicプログラムはヒドイ中身で,Gotoだらけのプログラムだった。
元々はキレイなプログラムだったようだが,
要求の度重なる変化でGotoだらけになった様子が伺えるプログラムだった。
ユーザが要求を決められず、何度も要求変更したと思われる形跡がある。
作り上げたプログラムを何回も修正し、嫌になってGotoをバリバリ使っている感じだった。


どこへ行くのか判らないプログラムのGoto文を追いながら修正をしていった。
プログラミングだけでなく,営業からの要求で見積書作成自身も担当。


プリンターはIBMのタイプライター。
小さなボールに沢山の文字が組み込まれていて,
このボールが一生懸命にグルグル回りながら印刷していく。
けなげに一所懸命に回転して印字していく様子は感激的だった。


但し、印刷に時間がかかった。
ひどいときは1時間程度かかったのかな?
印字終わってから、修正などが入ると、悲劇的だった。


その後,タイプライターでは遅いということで,ラインプリンターを導入した。


これがまた変わった機種で,
ドラムと呼ばれる文字を刻印された部分が普通の4分の1だった。
普通のラインプリンターは,
このドラムと言われる部分が,印刷する横列いっぱいに並んでいる。
つまり132文字分だか150文字分のドラムが並んでいる。


1文字分に、印字する文字全てをセット入れるので、
このドラムが高い。


このプリンターは,ドラムという高価な部分を4分の1に削減して,
替わりに紙が左右に一往復することで,4カラム分の文字を打つ,
という非常に面白いアイデアのプリンターだった。
印刷する用紙を支えている部分が左右に移動する。
ドラムは高速で回転し、指示された文字部分でハンマーで文字を印字する。


ところが,しょっちゅう故障する。
故障だけでなく、印字ミスもする。


横に紙が移動することで静電気が起きて,その電気でプリンターが故障だった。
結局ベンダーが持ち帰ることになった。
サービスの方にはお世話になった。
いろいろと教えてもらった。


その後,社内のシステム化の話が持ち上がり,
NECのAcossというメインフレームの小さな機種を導入した。


見積システムは,このAccoss上で稼動するシステムに作り変えた。
先輩がユーザの入力などを考慮してシステム設計をし,COBOLで開発した。


NECのミニStepsというプログラム開発の方法論を使っての開発だった。
当時はバッチプログラムばかりで,
miniStepsは,
バッチプログラムは7つだか9つのタイプに分類できるとの思想で作られていた。
このタイプ毎にコーディングシートにプログラムが印刷されている。
該当するタイプのコーディングシートを持ってきて、
ユーザの必要とするロジックを書き込み、
これをカードパンチして、プログラムが完成する。


プログラム設計も当然、このコンセプトに従って各タイプを組み合わせて設計する。
非常に判りやすい方法だった。


これが始めての方法論だった。
MiniStepsでプログラムのあり方を勉強したように思う。