将来を考えている若い人もいるようで安心 「1984 フクシマに生まれて」

◎  1984 フクシマに生まれて (講談社文庫)


この本も、誰かのブログで紹介されていたので、図書館で借りて読んだ。


著者のお二人を全く知らなかったが、
著名のように、1984年に福島県で生まれたお二人。
丁度今年30歳になる、若い方。


このお二人を、全く知らなかったが、
真剣に将来、現実を考えている若い人がいることを知って安心した。


大野さんは大学院に進学してから患った難病でも
元気に活動されている。
凄いバイタリティ、前向き。
こういう若い人が出てきていることは素晴らしいことだ。


今のふがいないリーダーで日本の将来を心配しているが、
こういう若い人々の努力で、日本の将来もまだ大丈夫そうだ。


原発問題を主題にした本ではないが、
福島生まれであることもあり、
あちこちに話は出てくるし、根底には現状の福島の解決を模索している。


彼らが話を聴きたかった6名の、各分野で著名な方々との
鼎談(ていだん:3名での対談のことだそうだ)をまとめた本。


難病、原発問題、日本を改善する方法、マスコミのありかたなど、
いろいろと参考になりました。



気になった部分のメモ。


86ページ

病気をネガティブなものではなく価値があるものとして患者さんたちが言語化できるようになれば、世間の理解も進むのではないかと思っています。



87ページ

権利や自己決定はいいことだと。何の疑いもなくみんなそう思っている。だから尊厳死を自分で選べる権利を持てないのはおかしいと考える人のほうが多い。ふつうに暮らしていればそうだと思いますよ。自己決定権がほんとうは非常に危ないものだというのは、「弱者」を体験してみないと分からない。



130ページ

新型ロビイストに求められるのは、ただ否定の声を上げるだけではなく、「代わりにこうすればいい」という意見を持つこと。「代わりにこうすればいい」よりもさらに説得力があるのは、「実際にやってみました」ですね。小さくても実例があれば、官僚も意見を飲みやすくなります。今後、市民型ロビイストがどんどん増えていけば、相手を説得するためのステップがみんなに意識され、浸透していくのではないかという期待はあります。



139ページ

残っているのは、なんらかの要因で南相馬から離れられない・離れないとか、相対的に離れる余力が少ない人たち。それと、圧倒的に高齢者です。つまり、弱者の集団なんですよね。もちろん放射能の問題もありますが、視点を変えれば、いち早く「超高齢」の状態に陥っていることに気がつきます。
 その現状を踏まえ、これから超高齢社会を迎える日本の未来を一足早くここで考えるんだという気概を医局の中に見て、意外に感じると同時に心強く思いました。



184ページ

たとえば、全国で意識の高い市民向けの勉強会に呼ばれて講演して回っていると、例えば「自然エネルギー脱原発のことを言えばすべて解決する」とでもいうような風潮を感じます。「原発を風車にすげかえればみんな幸せ」みたいな短絡的な話で問題が解決するなら誰も苦労しない。それで「福島のことを考えていることになる」という単純化がなぜ起こるのか。既に起こってしまっていることなので、それをどう覆せばいいのかは悩みの種です。
 さらに、福島では一切農作物を作らなければいいだろうという話を、現地の状況もよく知らないままに、「正義の味方」だと思いながら繰り返す人もいる。その価値観で生きていける人もいるだろうけど、そうじゃない人も当然います。その声をどう掬い取っていくかが課題です。



186ページ

南相馬に来た当初は私たちががんばろうみたいな気負いがあったけれど、今は地元の人たちががんばれるようにするために何ができるのか、という考え方になってきました。



211ページ

ジャーナリズムの理論がメディアの理論に回収されてしまった。
 この場合のメディアの理論とは、要するに市場原理です。視聴者や読者が喜ぶから、この情報を商品として提供する。視聴者や読者が望まないから、あの情報は提供しなし。株式会社、営利企業のロジックと言い換えても良い。
 でもジャーナリズムの理論は、市場原理とはまったく別のはずです。資本主義経済においてメディアが抱える問題は、これら市場原理やポピュリズムにどうしても染まってしまうということ。これは世界共通の課題です。でも、海外のメディアの場合は、軋みや摩擦が働く場合が多い。つまりジャーナリズムと市場の原理が拮抗している。
 ところが日本人は、組織共同体と相性がいい。組織に個が従属しやすい。その帰結として個の理論であるジャーナリズムが、組織の理論である市場原理にあっさりと回収されてしまっている。軋みや摩擦がとても少ない。これが日本のメディアとジャーナリズムにおける最大の問題だと考えます。



261ページ

 なぜアメリカは核兵器を使用したことについて謝罪しないのかを突き詰めていくと、戦略上の問題なんです。つまり、過去の核兵器の使用を謝罪した瞬間に、将来核兵器を使用できなくなってしまう。アメリカのいちばん頭のいい人たちは、核兵器の存在は他国への抑止力になると理解しているから、戦略の中で使う時は使うと言っておかないと存在意義がなくなってしまうことを知っています。だから、個人の思いはどうあれ、広島・長崎に原爆を落としたことについてアメリカ大統領が謝罪するというのは、戦略的にありえないことです。



271ページ

正義や公平も確かに大事だけれども、それを突き詰めていってつまらなくなったのが文部省の初等教育中等教育だと思います。全国津々浦々、標準的な教育を行き渡らせる、みたいな。でも、教育ってもう少し自由でもいいじゃないかな。先生たちは、アチーブメント(達成・業績)の基準を自分で作っても良いと思う。もう少し個々の狂気を伸ばす方に教育をふっても、悪くはないんじゃないでしょうか。