家庭をかえりみないサラリーマンの行方 孤舟

△ 孤舟


渡辺淳一さんの作品ということで、
また定年後の色っぽい話かと思って読み始めてが、少々違っていた。


主人公は、一流広告代理店で常務執行役員だったサラリーマンが60歳で定年退職し、
趣味もなく、やることもなく、友人もなく、
家庭でサラリーマン時代と同じように奥さんに接する62歳。


水を飲むにも、奥さんに水を持ってこさせるような、
典型的な、家庭ではなにもしない男性。
こういう男性が毎日自宅にいると、奥さんも嫌になるだろうな。


こういう人は多いのか?
自分で何でもやろうとする自分では、こういう人が理解できない。


趣味もサラリーマンの付き合いのためにしたやってこなかったり、
友人の仕事の付き合いだったりするから、
定年後は付き合う相手がいないようだ。


こういう人は多くはないと思うが、
2008年からの雑誌連載だったそうで、
定年直後にの離婚、熟年離婚などが話題になっていた時期なのか?


後半では、案の定、女性の話になるのだが、
優等生的なサラリーマン的な話で、
いつもの渡辺淳一さんの艶っぽい話に展開していかない。


また、盛んに年金暮らしなんだから経済してという奥さんの言葉がでてくるが、
2008年頃の退職したサラリーマンであれば
企業年金だけでなく、厚生年金からも支払があり、そんなにつらい経済状況ではないと思うが。
特に転職せずに一流企業に勤め上げたサラリーマンの企業年金
結構良かったはず。
少々話が設定が違うのではとも疑問に思った。


私の期待した著作とは違っていた。


後書きが、
同じような艶っぽい小説家の藤田宜永さんで意外な感じがした。


少々気になった部分


231ページ

退職して、なにもやることがなくなって、はたからもなにも期待されていない。もう俺は要らない人間になってしまった。そう思うことが気持ちを萎えさせ、躰を弱らせていくんだ。

当然の話だと思う。
定年近くなったり、50歳過ぎる頃から考え始めるはずだが?

躰が楽になっても、何の関係もないんだ。それより大事なのは生き甲斐さ

これも当然の話。


後書きの414ページ

”威一郎は自分が家に居る時間が増えれば、妻は喜ぶものだと思っていた”
それが間違っていたことに気付く。”大きな誤算は、妻との関係の悪化”だった

普段は毎日出掛けている旦那と毎日ずうっと一緒にいると、ストレスがたまる。
自分でも仕事が途切れて、次の仕事探し中に我が家に居て、
且つ、金銭的も辛くなると、女房との喧嘩が増える。


高齢者が増加し、働き手が少なくなる時代だから、
定年退職後に単なる隠居は難しい時代だろうな。


日本でも、60歳過ぎの人でも仕事をできる状況にすべきだろうな。
企業、官庁などで、雇用関係、採用方法・評価方法などの変更が必要だろう。