また原発問題を的確に指摘した書籍 残留汚染の危険性

◎ 原発事故 残留汚染の危険性


著者は、さんまのほんまでっかTVに出演している武田 邦彦先生。


初めはテレビのバラエティ番組に出演して、
面白おかしく科学的な解説をするタレント教授かと思っていた。
しかし、武田 邦彦先生は震災後、彼のブログを通じて、
日に数件の貴重な意見を展開している。
http://takedanet.com/


東北の野菜や牛肉「健康害する」=発言の中部大教授に抗議―一関市長
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000082-jij-pol
という記事を見て驚いた。


武田先生は普段ブログ等で訴えている真実を発言したまでで、
真実を隠そうとする、またはきれいごとを言い、あおる記事を書くマスコミ
という感じがする。


その後一関の市長とは相互理解ができたようで問題はないようだ。
武田先生は、一関市長の了解も取って、やり取りのメールを公開している。
一関市長とのメールのやりとり(2回目) http://takedanet.com/2011/09/post_3a7f.html


この本は残留汚染の危険性なので、残留汚染の話が中心だと思っていたが、
実際には、1章、2章で原発の問題、事故発生の経緯などが述べられている。
3章でやっと残留汚染の話になる。


専門用語、数字の羅列で、一般の人に判らない原発の話にしたくなく、
平易な言葉で書きたいとのことで、非常に判りやすい。


但し、1章、2章は非常に判り易いが、
3章では数字が少々出てきて、その数字の成り立ちなどの説明が
少々判り難く、煙にまかれたような感じがある。
一般人向けには、説明の順番に問題があるようだ。
この本は、原発が爆発した直後、3月末に出版されているので、
3章の推敲時間が足りなかったのではと思われる。


今回の/日本の原発の問題は、
原子力発電という技術の問題ではなく、
それを計画建設運用していく仕掛け、仕組みの問題とのこと。


やはりと納得するのは、
原発を持つまでには成熟していない日本社会”115ページだろう。
日本のように本音と建前で、事実をなし崩しにする社会構造,
会社、官僚の決めたことに意見を言いにくい社会では
原子力という非常に高度で難しい技術を扱う仕組み、仕掛けを作ることが難しい。


沖縄問題と通じるが、
福島とか新潟という地方に原発を作り、
それを東京という消費地へ送る方式にも問題がある。
原発推進をするのであれば、
消費地原発を建設して、その安全性を確認しながらの電力消費が必要だろう。


原発から遠くに生活して、影響は小さい地域の人々が
原発推進というのでは、無責任だろうな。
今回の原発問題までは、全く原発のことに関心がなく、何が問題なのかも知らなかった。
今回、数冊の関連書籍を読んで、
技術的にも仕組み的にも、現状では日本で扱える程度に達していないようだ。


目次にそって気になる部分のメモ。


第1章 いったい何が起こったのか?
マグニチュード9.0の真実
崩壊したのは地震が巨大だったからではない
地震の一時間後に電源が止まった福島原発
その時運転員が行ったこと
致命的だった「制御系」の破壊
「核爆発」を「臨界事故」と言い換えた罪


26ページ

でも原発でも核爆発するのは同じことです。もともと原発は基本的には原子爆弾と同じ理屈です。ウラン235が連鎖的に分裂して爆発するのですが、少しずつ爆発させることによって発電をしているのです。

27ページ

ところが、原子力には強力な反対派がいます。この反対を避けるために言葉をいろいろ選んで何となく安全なように見せかけることが行われてきました。



崩壊熱による本当の被害


30ページ

水が沸騰すると危険なことが二つ起こります。
まず一つは、水が沸騰して燃料を冷やすことができなくなり、むき出しの燃料の温度がさらに上がり、水と反応してし嘘が出ます。水素はガスですから圧力容器の圧力がどんどん上がります。そうすると圧力容器が破裂するので、水素を外に出します。続いて、今度は水素が空気中の酸素と反応して爆発するという順序になります。
 これが原子炉の水素爆発です。
 福島原発の事故では、一号機と三号機が水素爆発し、建物が壊れました。
 この原因は簡単なことですから理解をしておいたほうがよいと思います。
 つまり原子炉が停止し、しかも熱を冷却できない状態になると、崩壊熱でどんどん温度が上がり、水が蒸発していきます。そうすると燃料の上部が空だきになり、そこで水と燃料棒の材料が反応して水素ができます。その水素が、圧力容器の外に出て、空気中の酸素と混じって爆発するという簡単なことが起こるのです。



水蒸気爆発の危険性
安全なはずの福島原発はなぜ爆発したか
1 全ての電源が止まった理由


38ページ

 なぜこのような杜撰な原発が作られたのでしょうか。
 その根本は、著者が出席していた原子力安全委員会の耐震指針の考え方が、「原発地震で破壊する」という内容だったからなのです。
 それを保安院が継承し、おそらくは東京電力は危ないと思っていたかもしれないけれど、許認可権などの問題で暗黙のうちにしたがっていたのでしょう。



2 冷却系も同様にダメになった理由
「電源が切れたら全ては終わり」という構造的欠陥


40ページ

 少しダブりますが、福島原発の設計上の問題を「冷却と電源」の組み合わせの問題として取り上げてみます。
 福島原発の事故は工学的な安全設計として、「電源が切れたら全てが終わり」であったということです。

41ページ

 設計を担当するエンジニアは精密で論理的に詰めていきます。だからこそ良いものができるのですが、多くの場合。部分的には抜かりなく、しかも最適になっているけれども、全体的に見れば、「抜けたところ」があるというようなことになりがちなのです。
 著者の経験では、そのようなときに若いエンジニアに「これじゃダメじゃないの」ときっちりいえる経験がある年配の人とチームを組ませるとうまくいきます。

 通常の冷却装置がポンプで水をまわすなら、緊急炉心冷却装置は、大きなタンクを原子炉の上に置いてそこから水を流すといった別の方法が必要だからです。



屋根が飛んだのは必然だった


42ページ

 福島原発の事故では、核爆発を防ぐことはできましたが、冷却に失敗しました。
 つまり第一段は成功したが、第二段の防御に失敗したということです。しかし冷却に失敗しても、核分裂生成物が発電所の外に出ることを防ぐことはできたのです。
 なぜ、それができなかったのかを最後に整理しておきます。
 原発は、一番内側に原子炉の圧力容器、その外側に格納容器、さらに外側に建物という順序に三重に防御されています。というより防御されているように見えるといったほうがいいかもしれません。
 冷却が失敗して原子炉内の水が沸騰し、それがどんどん圧力容器の中にたまると、圧力が上がってきます。圧力容器といっても無限に圧力に耐えられるわけではありません。耐えられる圧力の限界に達したら、圧力容器の中のガスを放出しなければなりません。



「運転のミス」ではなく「設備のミス」


46ページ

 設計をすると、その審査を国がやります。なぜ国がやるかというと、少なくとも建前は「国民に代わって国が責任を持って安全を守る」と言うことになっているからです。
 今回の事故は、地震津波に対する設計が悪かったわけですから、設備の問題です。そして設備の問題といってもそれは施工の問題ではなく設計そのものの問題だったのです。

47ページ

 ところが、その国の担当者は、実は原発について経験もなく何も知らないと言うことすらあるのです。
 さらに、プラントを設計するには前にも述べたように基本的に、圧倒的に高い技術と長い経験が必要です。それなのに国の役人は大学を出るときに上級公務員試験を通り、その後、無事に役所仕事をやってきたという人間に過ぎません。
 そんな人が決定権を持つということはきwめて異常なことで、ダメな原子力発電所ができるのもしごく当然なことなのです。

48ページ

 つまり、東京電力は会社として責任を持って福島原発を運転しなければならないので、その責任はありますが、設備の責任は第一に保安院にあるといってもいいでしょう。
 特に、国民に被害がおよぶという点では保安院に、経済的な損害を被るという意味では東京電力が分担するのが建前です。このように考えると福島原発の事故に対する国の責任はきわめて大きいということがわかります。

49ページ

 でも、逆にいえば、保安院がなぜ頭を下げないのかということが、今回、なぜ福島原発で事故が起きたか、その原因をとく一つの大きな鍵になるのです。
 事故が起こって保安院の役人が謝らないということは、その役人が自分の責任ではないと思っているからなのです。
 このことが設計や運転の段階で事態を大変に混乱させます。・・・・

 福島原発という非常に難しい設備で、それが破壊されると多くの国民が被害を受けるのに、まるで新入社員のような無責任なお役人が、原発の運転を一度も経験したことがないのに口を出しているというのが、わが国の原子力発電所の現実なのです。



基本的な原子力用語をわかりやすく使う義務


54ページ

 長い間、原子力は専門家のものでした。
 それは福島原発東京電力のものだったのと同じです。
 でも、これほどお事故が起こったら、福島原発はすでに国民の共有財産ですし、原子力も、一般の人が生活の中で理解できる範囲の用語を用い、説明できないといけないと思うのです。

第2章 そもそも何が問題なのか?
なぜ二〇〇七年の教訓が生かされなかったか


56ページ

 2007年7月、柏崎仮羽原子力発電所新潟県中越沖地震によって、原子炉の一部に水漏れやひび割れが起こり、電気系統がもくもくと黒煙を上げて火災が起こりました。
 原子力発電所が壊れて、少量にしても放射能物質が漏れたということ。さらには原発で火災が起こるという事実は、多くの日本人にとって驚きでしたが、政府とマスコミの巧みなカモフラージュで、数ヶ月後にはすっかり忘れられてしまったのです。
 カモフラージュの第一は「放射能は漏れたけれども、微量で人体に影響がない」ということです。
 もちろん、原発からの放射能が弱く、人体に影響がなかったことは良いことでしたが、それと原発の一部がわずか震度6地震で破壊されたという事実とは別問題で、それが消されるわけではありません。
 第二に原発の所内で起こった電気系統の火災は、「放射能と関係がないのでたいしたことはない」という発言でした。



57ページ

それでも「もしあのとき震度6柏崎刈羽原発が壊れた」ということが国民の意識の中にはっきりと認識されていたら、日本の原発を見直すきっかけとなり、福島原発は破壊されなかったかもしれません。
 今回の福島原発の事故も原子炉自体が破壊されたのではなく、また最初は原子炉の格納容器もさらには建屋も破壊されていません。



地震が来たら壊れて住民が被ばくをする」ように設計されている


58ページ

 実は、日本の原発は、
地震が来たら、壊れて、放射性物質が漏れ、場合によっては付近住民が被ばくをする」という「指針」のもとにつくられています。

地震の予想を低くすれば通ってしまう基準


63ページ

 このようなことでしたから、柏崎刈羽原発が、「震度6」で破壊されたのは、東京電力が安く作ろうとしてわざと弱くつくったとか、工事に手抜きがあったということではなく、もともと「震度5ぶらいの揺れにしかもたない」ように建設されていたのです。


 そして2011年の福島原発の事故のときも、やはり揺れは震度6で、それに10メートル級の津波が重なって、その原因となりました。



64ページ

 ことの真相は、現在の日本の原発は「地震津波で破壊されない」のではなく、「想定している範囲なら破壊されない」ということなのです。



「残余のリスク」で全て言い訳がなりあってしまう


65ページ

 人間がすることですから、想定外のリスクが残ることは考えられますし、また当然のように思います。しかし、この「残余のリスク」という言葉を認めてしまうと、原発は、どのような条件下にでもつくれるようになります。



ある判決の真相
69ページ

 繰り返しますが、今の耐震基準では、地震につきものの津波も含めて、とうてい、日本の原発は耐え得ることができないのです。



原子力では「公開」が原則


74ページ

 日本の耐震指針が、最初から付近住民が著しく被ばくをすることがあるという前提でできていることも大きな問題ですが、それ以上に30分くらいにわたって行われた議論は公開されているのに、メディアはまったく報道しなかったことも大きな問題なのです。



75ページ

 指針では壊れるように設計されており、メディアも、その事実を知っているにもかかわらず報道もせず、実際に事故が起こると、そこでかさにかかって「何をやっているのだ」と非難するのですから、とてもまともな人のやり方ではないでしょう。



現在の原発が危ない三つの理由


77ページ

 このように考えると、現在の原子力発電所が危ないというのには三つの理由があることがわかります。
一つ目は、地震津波が来ると壊れるというもともとの危なさ
二つ目は、危ないことがわかっているのに、それが知らされていないという危なさ
三つ目は、万が一、事故が起こったときの対策がとられていないという危なさ



日本が弱い原発をつくった九つの原因


81ページ

1.原発のように複雑で巨大なものを地震津波から守るために検討する「精神力」がないこと
2.学力が不足し、科学的思考ができないこと
3.職務に対する誠実さが不足していること
4.「学問」を間違って認識していること
5.いつの間にか原子力の体制が変わったこと
6.国は誤らない・役人は謝らないという習慣があること
7.縦割り行政と建前社会であること
8.庶民から裁判官までお上に従順なこと
9.地震の対策を十分にすると、原子力発電所の建設費が高くなり、ひいては電気料が高くなること



85ページ

 それでいて、基本的な安全性は短い時間である結論に達することが多いようです。
 そしてその後は現場の設計者に任せ、個人の力と設計思想に基づいて設計をするというようになっています。



92ページ

 人間の頭脳は「事実を事実として理解する」のではなく、自分の頭で「事実と納得できるもの」を事実とします。


 つまり私たちは事実をそのまま見ているのではなく、目で見たものを知識のプリズムを経て頭で見ているのです。

95ページ

 今、正しいと考えていることは間違っている。だから、全てを正しいとして原発をつくってはいけない。
 将来の地震の大きさを間違えるのは当たり前だから、地震学者が推定したことの間違いを「残余のリスク」で処理してはいけないのです。



96ページ

 アメリカはこの巨大な力と大きな危険性のある原子力を、なんとか両立させたいとある社会的なシステムを作り出しました。それが日本では「原子力委員会原子力を推進」、「原子力安全委員会が安全だけを考えてブレーキを掛ける」というシステムだったのです。・・・・・
 でも、日本のような実務優先の国では、このような論理的なシステムはそれほどうまく機能しませんでした。



98ページ

 簡単にいえば、どうせ委員会の学者がやることだから遅いのは仕方がない。それならそれを改革するより別組織を作ってしまえということになり、国民から見れば、「いつの間にか」経済産業省に「原子力安全・保安院」というものができのです。
 官僚のやることですから抜かりはありません。名前だけを見ると、げんしりょくの安全を担当するのですから問題はないのです。


 しかし、現実にはそのようには動いていませんでした。
 多くの場合、理念的なことをやるところと現実を握っているところでは、現実を握っているほうの力が強くなります。



100ページ

 著者は「自分の設計ミスだから始末書か何かを書きますから配管を取り外したい」と申し出たのです。すぐに認めてもらえると思っていました。
 ところが意外なことに科学技術庁の担当官は、「配管を外してはいけない」というではないですか!そして、その理由を聞くと「研究施設はすでに国の審査をと許可を受けていて、安全で正しいということになっている」というのです。



103ページ

 これに対して、中央官庁の役人は国民の代わりに監督をしているという建前はありますが、著者の経験でもわかるように、現場にも研究が成功することにも興味がなく、さらには地域の安全を守るという意識がありません。



104ページ

 著者はテレビで保安院の会見を見て、一度も謝らないのにビックリしています。原子力の安全確保を図る組織として許認可権や審査権を持ち、普段から安全の指導をしているわけですから、その許認可や審査、安全指導が間違っていたということが大きな事故で証明されたわけです。
 さらに、福島原発の事故が「地震津波」で起こったのならば、それは運転を担当していた東京電力の責任ではありません。どちらかというと東京電力よりも保安院のほうに責任があるわけです。



105ページ

 国は悪いことはしない、したがって国の人はどんな間違いをしても処罰されることはないという建前を貫いていれば、原発のような大きな技術を日本で続けることはできないと思います。



106ページ

 国が全体の指導をするというと、見かけ上は良いことのように思えますが、実は指導する人たちは原発の運転経験もなく、現場経験もなく、単に理論的に考えるだけです。
 いってみれば、実力の低い人が高い人を指導するのですから、それだけでも問題があります。
 こようにして完成まできても、その過程に津波の専門家がいなければ津波に対する防御は抜けてしまいます。



108ページ

 また酷く被害に遭うのは住民です。


 さらには、放射性物質が漏れるのですから、次には野菜や水道水等が汚染されるのですが、そのとき住民の食糧はどうするのかという対策も決まっていません。



109ページ

 日本には火災が多く、火災の犠牲者が増加しているのは先進国では日本ぐらいなので、・・・・



111ページ

 ところが日本ではそれが逆になっていて、お城には殿様だけが住み、守るべき庶民はお城の周りに無防備に住んでいるのです。



原発を持つまでには成熟していない日本社会


118ページ

 「どうも日本社会というものは、源派うという巨大技術を持つまでには成熟していないのではないか」



第3章 どうすれば身を守れるのか?


残留放射線は三〇年間、その土地に残る


120ページ

 アメリカ軍が当初、予想していたよりも広島、長崎で残留した放射線が多かったのは、広島・長崎は砂漠でなく、人間が住んでいるとことだったということも原因していると考えられます。
 つまり、人間は被ばくしますと、その衣服を焼いたり、遺体を荼毘にふすのですが、放射性物質は焼却しても全く変わらず、なくなりません。
 放射性物質は焼却炉の煙突から出てまた地上に戻るからです。



122ページ

 科学的に正確に表現すれば、人間の環境から10万年は隔離しておかなければならないという核分裂生成物を、少し薄めて福島県などの大地に蒔いたと考えてもらったらいいと思います。



子どもにどれだけ影響が残るか


123ページ

 次に、現実にどのくらいのスピードで放射線が減っていくのかについては簡単な目安があります。それは、
(1)最初の4日で1000分の1
(2)次の4ヶ月でさらに10分の1
(3)それからはあまり減らない



124ページ

 私たちに問題なのは、次の10分の1になる期間です。文科省等から各地の「汚染度」が発表された数値は、約4ヶ月以内に10分の1になることを示しています。
 ・・・・・
 ただ、文科省の発表は、体の外からの被ばくだけでsので、体内被ばくがそれと同じくらい、さらには水や食材から取り込まれる放射性が、これもまた同じくらいですから、2マイクロシーベルトというのは、3倍の6マイクロシーベルトぐらいになるでしょう。
 それが徐々に落ち着いて、30年間で半分になるということです。



125ページ

 これまでの原爆や大きな原発事故を見ますと、一気に爆発したときには、最初の1ヶ月で、長く時間が経った後の全体の被ばく量の95%を被ばくする場合があります。



短期的・長期的な残留汚染の影響


「管理区域」をなぜ設定しないのか


130ページ

 しかし福島県の多くの場所は放射線の強さからいって管理区域に設定する必要がある場所でした。管理区域とは3ヶ月に1.3ミリシーベルト以上になるおそれのあるところで、これを1時間当たりに直しますと、0.6マイクロシーベルトになります。
 これに対して、日本の自然の放射線の量は、1年間に1.4ミリシーベルトですから、1時間当たりに直せば0.16マイクロシーベルトになります。すなわち、管理区域は自然放射線の4倍程度になる場合、管理をしなさいとしているのです。



1ヶ月に288回も胸のレントゲンを浴びた計算


133ページ

 このように福島原発事故の最初の頃には、学問的よくわかっていない専門家が出てきてさまざまな間違った発言を行いました。また、官房長官放射線の強さを発表するたびに「ただちに健康に影響の出ることはない」と繰り返しました。



専門家のいう「安全だ」はあてにならない


134ページ

 つまり、1時間当たり0.6マイクロシーベルトを超えるおそれのあるところは、職場や自治体が管理区域を設定し、その人の「被ばくした記録をとること」と「健康診断をすること」が求められています。



135ページ

 女性は妊娠しているかどうか一般的にはすぐわかりませんので、女性作業員は妊娠している可能性のある人としています。小さい子どももおれに準じてよいでしょう。



具体的な放射線量を書く


136ページ

 また、あらかじめ断っておかなければならないのは、原発事故が起こって文科省が発表した数字は「体外からの被ばく」だけだという点です。



139ページ

 「1週間後」の被ばく量の計算は受ける被ばく量を2分の1にし(室内補正)、食品や自らうkる被ばく量はそのまま足しています。空気中に漂う放射性物質からの被ばく量は、テレビで「家の中に入れば10分の1」と解説されていますが、それは1日中家の中にいて喚起を一切しない常態のことをいっています。



食品の残留汚染はどれだけなのか


142ページ

 また、地域に降り積もった放射性物質が徐々に水、食品などに取り込まれていきますから、最初「ホウレンソウ」だけだった汚染源が、水、野菜全体、牛乳などにも広がります。そこで食品などからの被ばく量を最初の1週間の10倍にしてあります。



今後、東京やそれぞれの地域は安全なのか


煮ても焼いても放射性物質の量は全くかわらない


147ページ

 このことを防ぐために、窓を閉めておいたらよいということがいえますが、前に書いたように窓を1回開けて換気すれば、目に見えない粒子も空気と一緒に入ってきますので、家の中と外とは同じになってしまいます。このように原発が一度、爆発すると、どうしても、体の中に放射性物質が入るのはやむを得ないのです。



148ページ

 つまり、一度、汚染されたらどんなことをしても、その量は変わらず、徐々に広がっていくというのが放射性物質の汚染の特徴なのです。



日本の土地や海が汚染された現実


149ページ

 さらに、福島原発二号機から、高濃度の放射性物質を含む水が直接、海に流れ出し、さらには「低レベル汚染水」をポンプで海に投入するまでになりました。「低レベル」と言っても、通常運転時に原子力施設で許される水の実に1000倍の汚染でした。


 それだけにとどまりません。著者は「東電が汚染水を海に投入する」と言うニュースを聞いた印象は「まずい。できれば日本の国土で処理したかった」ということでした。福島原発事故は日本がお子いた事故です。その汚染を「自らの行動(ポンプで汚染水を海に投入する)で他の国に影響を及ぼす」というのは絶対にやってはいけないことなのです。



150ページ

 原爆に使うウラン235は純度が約90%、原子炉に使われるのが約4%ですから、原爆のウラン235は数十キログラムに過ぎませんが、福島原発には十四トン、つまり広島原爆の数百倍ものウラン235があるのです。



健康障害が出る可能性の高い事故だった事実


152ページ

 日本にはすでに50基を超える原子力発電所があります。柏崎刈羽原発福島原発も震度6で破壊されたのですから、田尾原発地震で事故を起こして放射性物質が漏れることは確実です。



154ページ

 実はこのとは、第1章、第2章を通じて、この本で繰り返し述べていること・・・国民の健康と言う意味で、日本の原発の設計および運転の基本的なことがまったく決まっていなかったということ・・・を示しています。
 さらに第3章に「残留放射線」が日本国土をすでに汚染してしまったこと、その回復には30年を必要とすることが事実として私たちに重くのしかかってきたのです。
 繰り返し述べますが、現在の日本の原発は、電力会社が勝手に想定した「想定内」で安全であればよいと言うようになっていて、震度6で破壊されてもそれは「想定外」であると強弁できるようになっていましたし、今でも同じなのです。



報道が繰り返された真の意味


155ページ

 何故政府は、福島原発対策に振り回され、なぜNHK福島原発事故の放送を続けたのでしょうか?
 それは「原発事故がとても大事」だからにほかなりません。
 しかし、同時に政府もNHKも「漏れた放射線は大したことはない」、「放射性物質で汚染された野菜や牛乳も健康に影響がない」、「原発は沈静化に向かっている」といったのです。「大変なことである」といいつつ、「何もしなくても安全だ」と説得しても不信感が募るばかりです。もしこの事故で風評というのが生じたのなら、政府やNHKこそがその原因を作ったといえます。この例は、私たちは時として目の前で起こっていることの本質をなかなか見抜くことができないことを示しています。



156ページ

 技術的には日本で予想される最大の地震津波、その他の災害に耐える原発をつくることです。これはすでに技術的にできることで、今回の福島原発の事故は「できるのにわざとつくらなかった」と認識する必要があります。
 また、原子力施設の立地、審査などが「政治」であることを完全に排除する必要があります。また、東大の教授が枢要な地位を全て占めている現状を変える必要があります。
 さらには、「原発は住民のもの」ということに基本概念を変更することも必要です。今は東京に電気を供給する原発が福島や新潟にありますから、「付近住民はお客さんではない」という意識が強いので、今後は原発を東京の付近に作る必要があります。



おわりに


157ページ

 私が平成18年(2006)に理解したことは「地震で倒れることがわかっている原発」を作っているということです。そして、このような状態ではやがて原子力はダメになってしまうのではないかとの危惧が、今回の福島原発事故で本当になったことに唖然としたのです。



158ページ

 私たち(原子力関係者)は失敗したのです。
 私たちの考えは間違っていたのです。


 日本の原子力技術は世界に誇るものであり、きわめて安全に運転できるのです。しかし技術が社会に貢献するためには、技術レベルだけではダメだということを今度の福島原発の事故は示しました。



159ページ

 もしかすると今度の事故は、原子力というものを日本人が利用してはいけないということを言っているかもしれません。