福島原発の事故状況の詳細な記録 カウントダウン・メルトダウン(上)

◎ カウントダウン・メルトダウン(上)


上下巻に分かれて、上巻でも477ページ。
地震が始まってから、福島原発での電源喪失
その後の水素爆発、注水作業、
その作業のために注水車などを探し回って右往左往する政府、
政府の依頼への官僚的な回答の各官庁、
そして爆発前後からの原発地域住民の避難の様子と
その避難指示の右往左往する様子、
など詳細な記録。


原発の怖さが克明に描かれている。
特に当時対応した政府、菅さん、海江田さん、細野さん達が
恐怖感を持った状況、心理がよく判る。


凄い記録。
実際の現場の様子が手に取るように感じれる。


こういう本を読めば、原発の怖さ、非常時の問題などを判るし
原発のリスクも理解できる。


現在、それでも原発再開の画策をしている人々は
こういう本を読んでいるのだろうか?


官庁、会社間などでの情報の共有問題、組織的な対応問題、
そして最大の問題は、非常事態であるにも関わらず、
官僚的な体質、マニュアル重視、責任回避/保身のための組織的な指示待ちなどが
原因での対応遅れなどが、この本から判る。


自分でも原発には無関心だった。
しかし、今回の福島原発の問題で、
何冊もの本も読んだし、いろいろな方のブログでの意見、新聞記事なども読んだ。


結果、現状での原発の仕組み・作り・体制では、
日本にはリスクが高すぎると思っている。


一般の人も、単に怖いだけでなく、
本やネットでの情報収集で原発の問題を勉強すべきだろう。
図書館に行けば、沢山の原発の本がある。


この本は大作だ。
でも大量の情報で、読むのは疲れる。


上巻だけで477ページ。
前半は、原発、その地域の人々の避難する状況などが書かれている。
それぞれの町での避難の指示、実際の避難の様子が、
それぞれの町毎に書かれているので、
時間軸がそれぞれの説明で時間が戻る。


これが疲れる。
読んでいて、混乱する。
いつの時点の話なのか、
政府や自治体の指示はどうなっていたのかなどが
判らなくなる。


後半は、政府、東電本社が中心になるので、読みやすくなる。


説明対象の町など、大きな時間軸の説明などで
全体像を初めに書き出すと、読みやすくなりそうだ。



以下、気になった部分のメモ


95ページ

原発は、高さ50メートル前後の建屋の中には、フラスコ形の格納容器があり、その中に圧力容器がある。圧力容器の中には、燃料棒が集まった炉心が水に浸されている。その水が燃料の核分裂反応による熱で水蒸気となり、配管を通って発電用タービンを回す。水蒸気は海水で冷却されて水となって圧力容器の戻る。このサイクルに不具合が生じて炉心が冷却されないままになると、メルトダウンが起こる。
メルトダウンは、炉心の冷却ができないために燃料棒が溶けるシビアアクシデントを指す。そのまま放置すれば、圧力容器や建屋のコンクリート床まで溶かし、大量の放射能物質を放出する深刻な事態に至る危険性が強い。

他の本で判ったのだが、
水蒸気が通る配管が問題で、
水蒸気だけでなく配管も高温になるために、熱膨張のために固定されていない。
且つ原発内に配管がぐるぐると施設されている。
ということは、地震になった時に、この配管も危ない。


この辺は地震が殆どないアメリカで考えられた原発の方法で
日本の原発を建設することが問題のようだ。


140ページ

1号機ベントでは、毎時300ミリシーベルトもの恐ろしい環境に立ち向かわねばならなかった。米国の核テロ対応マニュアルにおいてさえ、毎時100ミリシーベルトを超す環境下では活動を控える、と記されている。



149ページ

東電は何一つ確かな情報を保安院にも官邸にも報告して来ない。
何が起こったかは知らせない。ただ、何が起こらなかったは熱心に伝えようとした。

222ページ

この間、ERCで働いていた原子力安全委員会の被ばく防御の専門家は、福島県庁の対応について後に次のようにしてきた。
「県知事の判断によって服用のリスクが生じることは避けたい。しかし、それによって被ばくのリスクが生じることは見て見ぬふりをするということだった。(福島県は)被ばくのリスクと、ヨウ素の吸引によるリスクと安定ヨウ素剤を飲むことのリスクのバランスをきちんと考えなかった。安定を保ちたい。県が考えていたのはそれだけだった。騒ぎにつながることはことごとく避けよう。過去のいろいろな知見を覆すことは避けようという気持ちが、いろいろな場面で強く働いた」

会議の後、安全委員会の都築秀明管理環境課長が栗原潔課長補佐に言った。
「三春町か。えらいところがあったもんだ」
「まさにこういうことをしてもらいたかったんですよね」
しかし、三春町は例外中の例外だった。
原発周辺市町村のほとんどは、指示を待っていた。
自治体は県の指示を待っていたが、指示は来なかった。
県は国の指示を待っていたが、原災本部(ERC)から指示はなかった。いや、県が本当に国の指示を待っていたのかどうかは、判らない。
「自ら自治体と住民に指示を出さなくて済みように、国に指示を出させないよう国を牽制していた」といった方が真実に近いかもしれない。



362ページ

ここには、専門職より一般職を”格上”とみなす霞が関の組織文化が色濃く影を落としている。
「公務員(上級職)は一か所にとどまるべからず」との霞が関の組織文化も関係している。この慣行は、名目は腐敗を防ぐためとされているが、内実は行政官個人に責任を取らせないための組織防御のためである。これではプロは育たない



364ページ

発足後、原子力関連事故が続出し、保安院はその対応に追われていた。
2002年の東電原発データ改ざん(事業者の自主点検作業記録に係わる不正)事件、2004年の関電美浜原発3号機の2次系配管破損事故(5人死亡)、2005年の宮城県沖地震発生に伴う女川原発の原子炉自動停止、2006年の耐震バックチェック事件、2007年の新潟県中越沖地震発生による東電柏崎刈羽原発の火災など、ほぼ毎年、事故・事件が起こっている。



370ページ

細野は、「平時と有事の切り替えが中途半端だった」ことと「官邸主導と称して、内閣府内閣官房にいろんな機能を集中させてきた」ことが今回、裏目に出たと言う。



378ページ

福島原たちは、フェローとか発事故が起こった際、役に立った技術者はフェローとか顧問とかOBとなっている第一次世代の技術者だった。
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第一世代の技術者が引退し、第二世代、さらには第三世代となると、状況が変わっていった。
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「80年代から90年代、世界中で原子力安全規制が技術面でも進んでいたのに、日本は技術進化に適応しなかった。前例固執の前例主義、様式主義がはびこった」
「設計図通りにつくる点では日本は世界一だろう。しかし、システム・デザインを変えていく技術を持たないと、世界のトップランナーにはなれない」
府島第一原発事故が起こったとき、安井が最初に感じたのは、
(これは、日本技術陣の敗北だ)



386ページ

周辺住民の避難は怖くてどの役所も自分から動かない。どこも余計なリスクを負いたくない。各省庁が動かないと、危機管理センターも動かない」
官僚出身の官邸政務秘書官の一人も、官僚機構の劣化こそが問題だったと総括する。
「政治主導の失敗というが、半分以上は官の劣化だ。官邸危機管理ではそれが特に露わになった。



425ページ

細野は、かろうじて踏みとどまったと感じた。
(日本という国家の背骨が折れようとしていた。それを何とか持ちこたえさせた)
と感じた。
(日本が独立国として残りうるかどうか、もう瀬戸際だ)
(これでできないのなら、アメリカももう日本を手助けしないだろう)





451ページ

細野は、このころ「燃料プールが空だきになったら、日本は亡びる」との強烈な危機感を抱いていた。